― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
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[ 2024年4月29日(月) ]
県立大学庄原キャンパスにBBSが出来たところまでお話しましたが、入部してきた学生が皆、濃かった。何もない山の中に開学した歴史ゼロの大学にやってくる学生は変わっていたが、開学当時の学生はどういう訳か仲が良かった。
ということは、変人の集まりとでもいうか、私と非常に波長があう学生たちがBBSの部員となったのである。今でも当時の学生たちとは親交があるのですが、皆さん立派な親御さんとなり孫がいる人も人もいるのではと想像します。中には、自分の学生時代を棚に上げて、「子どものことで相談があります」なんて言う元学生もいたりします。
当初の活動は、保護観察所の方においていただき、各種制度について学習したり、他の大学学内BBS会員と一緒に勉強会を開いたりしていましたが、顧問の先生の助言もあり、「不登校児の支援(学習を含め)」活動を展開する様になっていきました。そして、日本BBS連盟が認めた活動となり全国展開されていったのです。
県北部では保護観察処分の青少年は少なく関りが持てないので、広島少年院や少女苑を定期的に訪問し、バレーボールや意見交換を通して矯正の難しさも学習していましたが、表現は難しいのですが、院生には人気の訪問団だったみたいです。再犯の問題はつきまといますが、社会問題とする前に、犯罪の無い社会とする必要があります。
自己研鑽活動も大切ですが、時には息抜きも必要です。我社の倉庫で、夏にはBBQ、冬には闇鍋等をやりましたが、家内やお袋が先生役で、包丁の使い方やお結びの握り方などを教えていました。恐らく、私のブログを読んでいる卒業生もいると思いまが、仲間を誘ってBBS同窓会を開きましょう。久しぶりに庄原キャンパスに集まりましょう!
取りあえず、メール下さい。QYC04464@nifty.com アドレスはずっと変わっていません。
[ 2024年4月29日(月) ]
一昨日から県内某所で、表題のBBSという組織のOB会を開いていました。どうして私がその広島県代表として参加したのかという顛末を、少し長くなりますが、数回に分けて書かせていただますので、お付き合い下さい。
広島県立大学庄原キャンパスが開学した平成元年、地域の保護司さんたちの要請で、BBSという組織(←クリック)を学内に立ち上げました。日本語にすると、「お兄さんお姉さん」となりますが、当初は苦労の連続でした。
そもそも、保護司さんって聞くと、聞いたことはあるけど何をする人か分からないというのが正直なところだと思います。私が説明するのも難しいので「保護司」←検索してみて下さい。その保護司さんたちと協力して犯罪を犯した保護観察の青少年たちの更生のお手伝いをするボランティア団体がBBSという組織です。
知り合いの保護司さんから、「保護観察の子どもと我々保護司では年齢が離れすぎており、中々思うように会話ができないので、出来たら大学の中にBBSという組織を作れないだろうか」と相談を受けたのが始まりでした。実は、この保護司さんの息子のお嫁さんが学生時代に広島市内でBBS活動をしていたことが、ことの発端だったのです。
当時のドタバタを書くと長くなるので、割愛させていただき、庄原キャンパスにBBSが出来たところからお話しましょう。先ず私が実行したことは、会社に大学生のアルバイトを2名入れ、ミッションは、「学内にBBSを作る」でした。この2名の学生が良かった!何と、学内に保護観察所に出入りされていた先生の存在を見つけ出したのです。
そこからはとんとん拍子です。その先生にはBBSの顧問に就任していただき、学内にBBSの部室はいただき、更に部としての活動費も支給されるという、夢の様な船出となりました。
[ 2024年4月25日(木) ]
先ほどまで、表題のの特別委員会が開催されていました。私も昨年4月から議長に就任したことで、オブザーバーとして参加していました。副議長も私と同様にオブザーバー参加でしたが、2人とも議決権はありません。
いきなり議決権を書いたには、今日の特別委員会で委員会としての、議員定数と議員報酬について決定することになっていたからです。委員会は7名で構成されており、委員長は政野委員、副委員長は桂藤委員、他の委員は、堀井、藤木、松本、福山、國利となっています。どの委員も緊張気味であった様ですが、それぞれの思いを述べ、本論へと入っていきました。
先ず、議員定数について採決(委員長を除く)しました。提案は20名と19名でしたが(18名案は賛同者無し)、20名に賛成の委員は、福山、國利、藤木の3名。19名に賛成は、堀井、松本、桂藤の3名となり、委員長裁定により、19名と決しました。次に議員報酬ですが、こちらは結構揉めました。こちらも参考人の皆さんに3案提示していました。
①40.3万円②38.9万円③37.3万円の3案ですが、報酬審議会に諮るのに額を提示するのは如何かという議論になり、参考資料に議論の経過を入れることで決着し、議長から市長に特別委員会の報告書を手渡す際には、「報酬は増額すべき」との意見が大勢を占めており配慮願いたいと口頭で伝えなさいとなりました。私はオブザーバーですからね。
こらからの流れを大まかに説明すると、今月中に一定の特別委員会報告書を纏め、5月中に開催する議員全員協議会で全議員に報告します。そして、6月議会で正式に委員長報告を行い、議員定数を減らす条例改正を発議することとなります。市長に対する報告は状況をみながら早い段階で行うつもりです。市長の諮問により報酬審議会は設置されます。
これは参考にはなりませんが、こんなスタイルで報酬審議会が答申するということをご理解いただきたく、愛知県豊田市の答申を貼り付けせていただきますので、ご覧下さい。
[ 2024年4月24日(水) ]
昨日、山口県宇部市で、「中国市議会議長会」が開催されました。本来なら1泊2日の予定だったのですが、私の都合で日帰りにしてもらいましたので、帰宅は午後10時30分となりました。
令和5年度は庄原市は理事となっていますので、午前11時30分から「中国市議会議長会理事会」に出席しました。内容は、「中国市議会議長会定期総会」の運営についての協議でしたが、ものの20分程度で終わりました。そして、午後1時より「第154回中国市議会議長会定期総会」が開催されました。(都合で出席できなかった市議会もありました。)
宇部市長や山口県副知事、全国市議会議長会会長等の来賓祝辞があり、規定による議員表彰が行われ、議案審議、役員改選等が段取り良く行われました。議案審議では各支部から提出された15の議案を3つに絞り込み、鳥取支部提案の「学校施設の整備に係る必要な財源の確保について」が提出議案第1号となり、全国市議会議長会に提案されます。
この前のブログにも書きましたが、広島県から中国、全国と議長会が拡大していきます。今回の全国市議会議長会会長の挨拶では、厚生年金に議員が加入する様に各議会で決議して下さいとお願いされました。庄原市議会では既に決議していますが、議員のなり手不足解消のためにも厚生年金加入を進める必要があります。
皆さんご存知の通り、議員には退職金も年金もありません。あるのは、4年に1度の選挙です。来年4月は庄原市議会議員の改選です。市議会議員も皆さんに活動を知っていただく努力をしていますが、皆さんも議員に目を向けてみて下さい。庄原市議会のホームページも徐々にではありますが、変化していますので、ご覧下さい。
[ 2024年4月22日(月) ]
以前のブログに、母親の車椅子の移動用に福祉車両を購入すると書きましたが、昨日、納車されました。丁寧な業者さんで、私が気になった個所は全て改善されていましたので、とても11年経った福祉車両とは思えません。
今日その車でディサービスに迎えに行きましたが、肝心の母親は何の興味も示さず、施設の職員さんが、「どうやって固定するんですかね」とか言いながら車椅子を載せるお手伝いをして下さいました。私も初めてだったのですが、事前に説明書を読んでいたお蔭で、載せることも車椅子を固定することも割とすんなりとできました。
簡単に説明すると、車後部に格納されている昇降板を延ばして車椅子を積み込み、先ず、前輪を固定してから後輪を固定し、車椅子に乗った人をシートベルトで固定すれば出来上がりです。固定装置は全て油圧となっており、この部分が福祉車両の肝であろうと思います。しかしながら、座席は車椅子ですから乗り心地は悪いと思います。
どうしてディサービスに早めに迎えにいくかですが、午前9時から午後4時までフルでディサービスに居ることが体力的に難しくなっているからです。そうは言っても、101歳ですからね。基本的に送迎はルート毎で行われており、自分都合で早退することはできませんので、車椅子仕様の福祉車両の購入を決めたわけです。
と言いながら、自転車やバイクも積めますので、自分の趣味の部分でも活用できそうです。こちらは新型車両です←クリック。
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