「還暦を迎えて自分の健康について真剣に考える場面に遭遇した」と書いたのは、
今から2年半前の同級生との宮島1泊旅行の時でした。(2017年4月20現在)
「ほぼ全員が薬を取り出して飲み始めたのだ」、「聞けば、皆、同じような
症状だということも分かった」。そこで私は決心しました。
もう一度、健康体を取り戻そうと。

かなり固い決意と受け取れる内容ですが、結果は、ユルキャラそのもので、
悲惨な「脱メタボときどき日記」となっています。
しかし、書き始めた訳ですから、これからも公開していきます。

定期診療でした

[ 2024年10月4日(金) ]

術後、未だにお酒は一滴も飲んでいませんので検査数値はほぼ問題ないものとなっています。G-GTPの数値が70ですが、胆嚢を摘出したことでこの数値になっているとの説明でしたので、全く問題ないみたいです。

今回、糖尿病の判断数値とされるHbA1cが6.9になりました。久々に7を切りましたので、これからは6.2を目指しますと言いたいけど、薬で落とさないことにしていますので時間がかかると思います。しかし、この数値が絶対でもないので身体と相談しながら生活することが大切と考えます。

一昨日も飲み会があったのですが、私はお茶を飲んでいましたが、周りの人には迷惑な人間だなと感じました。飲み会の席には本来なら出席しない方が礼儀だと思います。しかし、いつまで禁酒できるかは分かりませんが、お正月から解禁となり、酔っぱらいましたブログを書いていたら目も当てられませんね。

ここまでブログを書いたところで、「高齢者講習」に行って来ました。来年1月の誕生日で70歳になるので、私も高齢者講習を受けなければならなくなりました。三日市教習所で、視力検査やビデオの視聴があり実際に運転もしましたが、あくまで講習ですので、「ご苦労さんでした」で終わりました。

私の車には色々な安全装置が備わってはいますが、あくまで運転するのは自分ですので、これからも安全運転に努めます。しかし、高齢者講習という響きは一寸嫌だな・・・・。

 

定期診療でした

[ 2024年8月23日(金) ]

今日は庄原赤十字病院での定期診療でした。検査数値はスプレッドシートでアップしていますのでご覧いただけますが、どういう加減かは分かりませんが、一部数値がアップ・ダウンしています。

内科のM先生によると、断酒は継続しているし体重も増加しておらず問題ないと思えるので、この状態を維持していきましょうということでした。生身の人間ですから、全てをコントロールすることはできませんので、この程度の数値であれば全く問題無いと私は判断しています。

今日は糖尿病仲間2名と久々に会ったのですが、改善の鍵は体重だとの認識で一致しました。栄養指導を受けながら本気で減量に取組めば必ず成果は上がると思います。私は入院・手術で自動的に改善したお蔭もありますが、問題は、継続できるかどうかです。ただ、痩せていても糖尿という方の対処方法は分かりません。

ここまで書いたことは素人判断が殆どですので、鵜呑みしないで下さいね。あくまでも医師に相談して納得して治療することをお勧めします。医者が言うからということを良く言われる患者さんがおられますが、主役は患者のあなたです。あなたが変わらなければ何も変わりません。

還暦から始めた脱メタボときどき日記ですが、あっという間に10年経過で古希となりました。動機は不純でしたが、脱メタボときどき日記を書き続けていることで元気で生活できているのかなとも考えられます。10年間では何度も入院もしましたが、その都度、娑婆に帰って来ることができました。正に生かされている自分です。健康でこそという言葉の持つ意味が分かりかけてきた自分でもあります。

 

数値はほぼ正常値

[ 2024年5月24日(金) ]

今日は庄原赤十字病院の定期診療でした。お酒を断ってほぼ5カ月になろうとしていますが、糖尿の数値以外は正常値に戻りました。何と、肝臓の数値であるG-GTPが59(許容範囲は13-64)になりました。

前も書きましたが私の検査数値は日赤に10年以上(恐らく15年くらい)残っており、今日も主治医の先生にHbA1cの数値7.0は最初の頃は5.8位だったと思うと言って調べてもらったら、2010年頃の数値は確かに6を切っていました。ですから、あの頃から飲酒の量が増えてきたのだろうと思います。

先生に、「いつからまた飲み始めるか分からないけど、糖尿だけは少し難しいね」というと、「数値に囚われないでやりましょう」と言っていただいたので少し気が楽になりました。絶対に許容範囲内にと言われれば、食事制限などする必要もありますからね。

今回の胆嚢炎による入院・手術で、これまでに経験したことがない苦しみを味わい、何かが芽生えた感じがします。つまり、「生きる」ということが、「生かされている」と実感できたかな?口では、「生かされている命」なんて平気で言っていましたからね。つまり、長生きしたいと本気で思い始めました。

来年は70歳になります。議員の任期も終わります。残された69歳、悔いのないものとします。

定期診療でした

[ 2024年3月29日(金) ]

手術後初めての定期診療でしたが、検査数値が軒並み改善されていました。それもそのはずというか、1月1日からお酒を一滴も飲んでいないのですから、当たり前と言えば当たり前です。

今日は、内科、循環器、外科という順番だったのですが、先ず内科での会話は、「林さんどう言ったらいいのか分からないけど、数値が良くなっています」と言われるので、「飲んでいないからね」と私が言うと、何故か2人で大笑い。何度言ってもお酒を控えない私に半ば呆れていた先生ですが、自動的に禁酒となった結果に2人で納得です。

循環器内科の先生には、「緊急外来の当番が2回とも先生だったから」というと、これまた2人で大笑い。確かに私の数値を熟知している先生だったことが幸いしたことは事実です。最後に外科の先生となり、「傷口を見せて下さい」と言われるのでお見せすると、「傷口はキレイですね」となり、先生も満足の様子でした。

今回の胆嚢炎に関しては、今にして思えば、全てが結果オーライだったといえます。最初に猛烈な痛みに襲われたけど、人生最大の試練と思い我慢した。私にとってはこのことが非常に重要なことなんです。心の中で、「意地でも我慢してやる」
と念じていたのです。どうしてか分からなけど、我慢したかったのです。

こんなバカな患者がいると先生は困る訳で、緊急手術しなければならなくなります。私はここも重要であると思っています。今回の胆嚢炎は全てがギリギリの状態だったのではなかったのかと想像します。誠に不謹慎極まりないことを書いていることは重々承知していますが、本気でそう思ったのだから仕方ありません。

ということで、胆嚢炎物語は終わりです。

何とか生き返る

[ 2024年1月10日(水) ]

人間の神秘というか、治癒力というか、自分の身体が自分でコントロールできないことを実感した10日間でした。その10日間をもう一度、振り返ってみたいと思います。

私の1月3日のブログを読まれている方なら、復帰できたのかと思われたかと思いますが、実はそう簡単には回復していなかったのです。31日からの激痛からは解放されましたが、お腹の中に何かいるという雰囲気は感じていました。丁度、5日が庄原赤十字病院の定期診療だったのですが、主治医の先生がCTを撮ってみましょうとなりました。

お腹の中に何かいると感じるものの正体が分かりました。それは胆嚢炎でした。胆嚢は肝臓とも密接な関係ですから、肝臓の数字も上がっていました。今後の治療法について先生と相談した結果は、取り敢えず抗生物質で炎症を抑えてみる。食生活は入院と同等とするというもので、食事はお粥か素うどん、飲み物はお茶かお水を大量に摂取するという内容です。

ですから、5日に病院から帰ったら、家庭内入院となりました。ただひたすら寝るだけの毎日です。残っていたお腹の痛みが徐々に消えていきましたが、動くことがしんどくて、精神的にも落ち込んでいきます。そして昨日の再検査で、数値はまだ正常値とはなっていないが回復していっているとの見立てでした。

1月4日の商工会議所の新年互礼会には出席して乾杯の発声をさせていただきましたが、この時は気力でやらせていただいたのです。ですから、直ぐに会場を後にしました。私には糖尿病等の基礎疾患がありまので服薬しなければならなかったのですが、2日間程は飲んでいませんでした。そのことによる体調不良もでたりして、自然治癒力とのせめぎあいだったの?

とんだ年末年始となりましたが、1月中は慎重に生活することとします。当然ながらお酒は一滴もいただいたいません。奥さんが、「1年くらいは止めときなさい」と言っていますが、今は全く飲む気にもなりません。2月2日にMRI検査を受け、問題なければ完治ということになります。苦しかったですが、生かさせているを実感しました。

あの激痛の時に緊急外来に行っていたら、「たら」ですが、即、入院となり多くの皆さんにご迷惑をお掛けしたことでしょう。明日から様子をみながら活動を再開することとしていますので、宜しくお願いします。基礎体力が相当に落ちていますので、早退することもあるかも知れませんが、お許し下さい。