いくらどんなに悩んでも

[ 2008年6月6日(金) ]

ダスキンの創業者である鈴木清一は、「いくらどんなに悩んでも、明日の朝はやってくる」と詠っていました。しかし、私たちは悩みはエンドレスだと勘違いしているのではないでしょうか。

ダスキンが4週間に一度お客様に配る「喜びのタネまき新聞」という名の情報誌があります。創業者が商売抜きに、お客様に喜んでもらうことを第一に考えて作ったミニコミ誌です。その表紙に、鈴木清一の思いを綴った詩が掲載されていました。彼は詩人ではありませんが、ふと頭に浮かんだことを直ぐに書き留める人だったのです。ですから、本当に思いつきの詩ばかりでした。

その中の一つに、「いくらどんなに悩んでも、明日の朝はやってくる」があったのでした(少し違っているかもしれませんが、だいたいこんな感じでした)。色々な悩みが次から次へと襲ってくるのですが、悩んでみたところで、夜が明けぬことはないということです。明けたら次の悩みが起きている訳です。鈴木清一は、昨日の続きの今日でなくという言葉もよく使っていました。

鈴木清一は金光教の熱心な信者でもありましたので、「日々(にちにち)が新(さら)」という教えを大切にしていたのだと思います。今は退職された佐々木さんという方が長年、新聞を編集しておられました。実は彼は、日本経済新聞の記者だったのですが、鈴木清一との対談で、同じ金光教というご縁からダスキンに請われて入社したのでした。そのときの条件が、「お客様が喜ぶ新聞を作る」ということだけだったそうです。勿論、宣伝は一切ありませんでした。

毎日毎日、おそらく悩んでいるんだろうと思います。右手を先に出そうかと悩んだり、言わなければ良かったと悩んだり、結構、本気で悩んでいるはずです。

よし、ア○ナ○ンを飲んでみよう!分かるかな?分からないだろうな。

あるブログから

[ 2008年5月30日(金) ]

友人のブログにこんなことが書いてありました。ひょとしたら、昨日の私のブログに反応して書かれたのかもしれませんが、結構「グサッ」ときましたので転載させてもらい、考えてみたいと思います。

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役所に20年出入りして感じていたのは「先進地行政視察」の無駄だった。地域興し・電算導入・教育などひいでた先例を見に行き真似をする。先進地がどれだけ苦労を重ねて到達したかという失敗談は聞かずに、成功しているところだけに目を奪われてやる気になって帰る。
諸外国もやっているから・・・とサマータイムが話題になっている。第一次産業に従事している人は「そんなの関係ない!」というだろう。日の出と日の入りで動植物は営みをしているからそれにあわせて働いている。ご高齢夫婦の農家に配達に行って「今年から米はやめました。買ったほうが楽です。草刈は日当一万円でお願いしようと決めました。どっちみちこの家も田畑も将来は荒れるでしょう」サマータイムより大切な政治があろうにと思う。

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彼は市町村議会の本会議を含む各種会議をテープ起こしで議事録にすることを仕事としていた人です。ですから、議員の会議中の私語なども全てテープから聞き取っていたのです。彼は私に、「過去の議事録を読みなさい」とアドバイスしてくれました。大体のその議会の流れ(考え)が分かるからだそうです。そして、議事録には嘘がないというのが彼が仕事に携わってきた誇りでもあります。

昨日の私が同行した視察は、視察というものではありませんでした。こと細かく書くと物議を醸すので敢えて書きませんが、彼が書いたとおりです。情けない限りの田舎政治家ですが、独りよがりにならず、住民と一緒になって地域を考え残すために行動していく所存です。

議員って、どうなんでしょうか

[ 2008年4月5日(土) ]

今朝何気なく新聞の投稿欄を読んでいたら、議員報酬が高すぎるというところに目がくぎ付けになりました。ある他市の住民からの投稿記事ですが、「やっぱり、そう思っているんか」って、少し複雑な心境になりました。

そのまちは、政務調査費もあるそうですが、その使い方が恐らく不透明なのだろうと思います。幸いに庄原市には政務調査費も委員会などに出席する費用弁償もありませんから、誠に身ぎれいと言えば身ぎれいです。要は議員報酬だけですから、年間500万一寸の総額(税引き前)を頂いております。非常勤で何をしているのか分からないという記述もありましたが、分からない人を選んだのが有権者です。

議員それぞれの考え方があると思いますが、黙って4年間つつがなく過す議員がいたり、住民のためと走り回る議員がいたり、それぞれが多様な価値観だろうと思いますので、否定も肯定もしませんが、審判を下すのは住民のみなさんです。では、何故議員になるのかということです。「お役に立ちたい」、「お世話をしたい」、「政治を浄化したい」、「住みよい庄原にしたい」等々、思いはあったのです。

あったのですと過去形にしていますが、殆どの議員さんが過去形です。志をもって立候補されるのでしょうが、志半ばで「やる気なし症候群」となられるようです。要はものが分かったような言い方をする執行者側に取り込まれるのです。「こういうやり方がありますよ」って、知らず知らずに主従関係が構築されていきます。政党交付金が交付されても政治は一向に浄化されません。当たり前です。

志高く生きるということは、己を律する力量が必要です。これは目には見えない、言葉からも中々判断できない、生涯を通しての生き方でしか見ることは出来ないものだろうと思います。そういう志高く生きる議員を目指している議員ですと胸を張って言える私でありたいと思います。

あなた、議員になってみませんか。

荒れた田圃の再生は

[ 2007年11月10日(土) ]

昨日のブログに比和に行ったと書いていましたが、実はお米を求めてやってきた中国の友人を案内していったのです。中国からの研修生に販売する、安いお米を探しているのです。

これは書いたか書いていないか記憶にないのですが、日本に着いたばかりの研修生はお金がないので、くず米でも喜んで食べるのだそうです。そして、段々と収入が増えるに従って、まあまあ普通のお米を買うようになるのです。しかし、まあまあと言っても安いものでないと買えませんから、古古米でも安ければ問題ありません。

中国の友人と話す中で、あなた達がお米を作ったらどうかねと冗談半分で言ったのですが、機械もないし、技術もないので、出来ませんと言われてしまいました。しかし、これは突飛な話しかもしれませんが、中国の労働者が日本でお米を作るというのはどうでしょうか。日本人が耕作放棄した田圃や畑であれば、何ら問題ないのではないでしょうか。

防衛問題まで持ち出す人はいないと思いますが、お互いにメリットのある話だと私は思います。これほど中国からの研修生を受け入れているのであれば、食べ物だって研修生が作ってもいいじゃないですか。そして、そのできたお米を中国に輸出することで、国際分業論が成り立ちます。工業製品は中国で、農業は日本で行う、夢のような話が現実となります。

農業も林業も日本人からは敬遠されるのであれば、国土が荒れて作物が出来なくなるくらいなら、中国人が耕作することには何ら問題ないと私は考えますが、おかしいですか?

古古米でも構いませんから、お米を安く分けてください。30キロ3000円以下なら大喜びです。

選挙だけが気になる議員さん

[ 2007年9月25日(火) ]

これから書くことは私が近頃特に感じていることです。それは、議員は何の為に選出されているのか、議会は何のためにあるのかということです。こんなことを書くと決まって、「議員になっていながら何を言う」と言われます。

議員になったからこそ分かったことが多くあります。庄原市議会で自分の意見を言える議員が何名いるのでしょうか。横をチラチラ見ながら意思決定する議員が殆どです。安倍さんが去った後は福田さんになりましたが、新鮮味のない昔の顔が並んだだけのオジン内閣でしからありません。共通点は、「みんなで渡れば怖くない」です。

誰がしたって庄原は変わりはしないという多くのご意見を頂きますが、でも選挙運動の時には、「頑張ります。庄原を変えます。皆さんのお力を貸して下さい。」って連呼していたではありませんか。「何を頑張ったんですか。何が変わったんですか。」と聞いてみてください。あなたが支持した人たちに。

選挙ででてきたら「白紙委任状をもらってでたのだから、私の思い通りにする」と言われる方があります。勝てば何を言っても、何をしてもいいということでしょうか。「頑張りません。何もしません。」では、約束違反でしょ!!説明責任という言葉がありますが、どういう意味がご存知でしょうか。やりっぱなしではいけませんということです。

選挙が終わったら次の選挙運動が始まるなんて聞きますが、仕事をすることを忘れていませんかといいたい。仕事をして何ぼの世界なんですよ、政治も!!