8月6日が近づく

[ 2024年7月31日(水) ]

昨日は「被爆79周年原水爆禁止」非核平和行進北部コース庄原地区行進団結団式が庄原市役所前広場で開催され、8月6日の「広島原爆の日」が近づいてきたことを改めて実感しました。

私は母親が入市被爆していますので、所謂、被爆二世です。被爆した伯父さんや伯母さんの殆どは既に亡くなっていますが、生きているのは私の母親一人となりました。伯父さんの一人は被爆後直ぐに我家に運ばれて来て庄原で大やけどの治療をしたそうですが、赤チンを塗る程度だったみたいです。

一人の従姉は胎内被爆で生まれましたが今でも元気です。私が子どもの頃、広島市内の伯母さんの家に泊まりに行くと街には傷痍軍人さんが多くいましたし、火傷の傷跡も隠すことなく人々は行き交ったいました。私は昭和30年生まれですが、まだまだ戦後の貧しさから脱却できていませんでした。

ですから、私は8月6日は特別な日と思っています。また、父親は第二次世界大戦でシベリアに抑留され、何とか生き延びて帰国できましたが、その父親も戦争について語ることはありませんでした。戦争は何もかも破壊してしまいます。今でも世界各地で戦争が起きているとは、本当に理解できません。

私も来年で70歳となりますので、残された命は大切に使いたいと思っています。生かされている命ですから。

 

きずなカフェ(意見交換会)

[ 2024年7月30日(火) ]

昨日は、「きずなカフェ」でした。原則、月に1回開催することとしていますが、相手があることなので中々定期的な開催となっていませんが、昨日はある団体からのお声がけがあり庄原駅の集会室で行いました。

昨日はテーマも決めず、言いたいこと、聞きたいこと等を自由に各自が発言するという、ええ加減といえばええ加減な意見交換会となりました。相手さまはどういう団体というより、発起人さんの友人たちという感じだったのでしょうが、言いたくて仕方ない人たちの集まりだったのは間違いありません。

市職員の早期退職の原因はどこにあるのかと我々に投げかけられましたが、市議会で雇っている訳でもなく、執行者に聞いてみてくれという他ありません。市議会として気にならないのかと問い詰められましたが、一般質問等で質してはいるが、「糠に釘」状態であると正直に答えました。

私たちは地域政党きずな庄原として、「市民力を高める」手段として、きずなカフェであったり、街頭宣伝活動であったり、できるだけ市民の中に出向いて啓発活動を行っているという趣旨のお話もさせていただきました。皆さん、広報広聴の大切さは理解されていますが、問題は実践にあります。

普段は聞けないお話を聞いて疑問に思っていたことが少しは理解できたと皆さんおっしゃっていましたが、「時には傍聴に行って聞いた方がええですよ」という参加者の意見もありました。ネットで視聴することもできますが、現場で直接やり取りを聞くことが一番分かりやすいと思います。

市民は市政に関心があるのであって議会に関心があるのではないと昨日も強く感じましたが、議員には何でも言えるという気安さがあることも分かりました。これまでも言い続けていることですが、議会からの政策提言を執行部が本気で受け止める度量が必要ではと思います。

我々は時間が許す限り対話活動を行っていますが、もっと多くの議員が市民と語る場を設けて欲しいと切に願います。「市民の意見」と枕詞で使いますが、その意見を活かすのは我々議員であり、議会です。

草刈りでした

[ 2024年7月28日(日) ]

昨日も今日も草刈でした。減反の田圃に飼料用のイタリアンを植えていますが、田圃の周りは草だらけです。草を刈らなくても問題はない様に思えますが、隣の田圃には人間が食べる稲が植わっています。

イノシシが出て荒らすので田圃の周りには電気牧柵を張り巡らしていますので、定期的に電気の線に掛かっている草を刈る必要があります。茂った草があるとそこからアースして電気が流れなくなり、イノシシが進入して田圃をあらすことになるになります。風が吹けば桶屋が儲かる方程式です。

今年、電気牧柵を田圃の畔から田圃の脇の作業道に変更したのですが、大正解でした。草を刈る範囲は格段に増えましたが、今のところイノシシの侵入は皆無でした。しかし、問題はこれからなんです。イノシシが田圃に入るきっかけは分かりませんが、イノシシに狙われた田圃は悲惨な状態になります。

段々とイノシシの生態と言うか癖が分かってきた?とまではいきませんが、一定の法則的なものが見えてきました。どこでもかしこでも進入しない。決まった通り道があり、決まったトイレがあるみたいです。だから狙われた田圃はその周辺の通り道を徹底的に潰すことです。

ここに千葉県のイノシシ対策テキストを貼り付けておきますので読んでみていただきたいのですが、基本的には草刈みたいです。私が住む板橋町平林地区は几帳面な農家が多く、草刈を競ってしているの訳ではないのですが、ほぼキレイに保たれています。

要因をひとつあげるとすれば、「平林さとやま管理組合」を立ち上げて集団で環境保全に取り組んでいることですかね。最初は大変でしたが、意識が変わってくると効果も目に見えてきます。やはり、集団の力です。

要望活動に思う

[ 2024年7月26日(金) ]

自民党政治から民主党政治に変わった時、「陳情は止めにしましょう」ということだったと思います。「事業仕分けをして無駄な事業にかけるお金を洗い出します」と民主党の蓮舫さんは吠えていました。

スーパーコンピューターの京だったか?、世界で1番じゃなくて2番では駄目なんですかと疑問を投げかけていました。私はそれはそれで良かったと評価しています。誰もが疑問に思っていたことを正直に聞いたことは大正解です。最大の功績は、お金の流れが少しづつ解明されたことです。

特定の政治家の要望で特定の道路や河川が整備されてきた過去と決別とまではどうか分かりませんが、見える化する努力を官僚がしている様には感じます。官僚も人の子であり地方出身の子もいますから、理不尽な要求には応えたくない気持ちは十分にあります。特定の地域が段々と拡げれば地方全体となります。

今回の要望活動は、四国88箇所巡りではありませんが、衆参88箇所巡りだったとも言えます。即効性を期待するものではなく、御朱印を集めるが如く名刺を集め、表装して掛け軸にするくらいの余裕を持ちたいものですが、どこかに訪問度数をチエックしている部署が存在するのだろうか?

疲れました

[ 2024年7月25日(木) ]

皆さんにも中央要望活動とはどんなものか少しお話してみたいと思います。今回の要望内容は、主に江の川の治水に関するもので、三次市と安芸高田市と庄原市の共同での要望となっています。

先ず、国土交通省(本省)に集合して簡単なレクチャーを監事市の三次市の担当が行います。ここで初めて安芸高田市の新市長に挨拶させていただきましたが、詳しい説明は省きますが、庄原市に高校の同級生(私が知っている)が多くいらっしゃるので、直ぐに打ち解けることができました。

約束の時間となり管理・国土保全局長の部屋に伺い、会長である三次市長が要望内容の説明を行い、要望書を手渡すところを写真に収めて局長への要望活動は終了。次に、国土交通大臣政務官の衆議院議員石橋先生に要望活動を行いました。ここでお昼となりましたので、衆議院議員会館に移動して昼食タイム。

全国から要望活動で来られている県・市町の議員さんや職員さんが議員会館の食堂に集合という感じですが、メニューも豊富で安価ですし、割とゆったりできるので人気の食堂です。昼食後は、衆議院議員の小島先生と佐藤先生を事務所に訪ねて要望活動を行いました。

そしてこれからがハードな要望活動となります。衆議院、参議院の議員会館に地元選出の国会議員を訪問して要望を行いました。アポはとってあるそうですが、殆ど本人は不在であり、会って直接要望できたのは宮沢先生のみでした。どれだけの事務所を訪問したのか、金魚の糞には分かりません。

要望活動が終わって羽田に移動して広島空港に午後8時前に到着し、それから自宅に9時過ぎ着だったと思います。これは、公務です。ところで、三次市の要望団ですが、三次市は独自の三次要望でも活動されているので、一昨日から本日まで3日間、霞が関探訪だそうです。