― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
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[ 2024年12月26日(木) ]
「議員定数及び議員報酬調査特別委員会」は、前議長近藤久子氏の諮問により設置されたものですが、私が議長に就任した際も特別委員会は継続することとし、正副議長のみが交代しました。
私が諮問した訳ではなく、中々その気になれなかったというのが正直な気持ちでした。今から13年前、私は議会改革特別委員会の委員長として議員定数・議員報酬・政務調査費について議論し、一定の結論を導き出した経験があります。当時の私のブログを貼り付けますので、←クリックで読んでみて下さい。
私も若かったというか血気盛んでしたので、特別委員会は毎回大荒れ状態でした。時には、まるで喧嘩しているのかと思われるほどの激論を戦わせていました。結論から言うと、議員定数を25名から20名へと5名減員。報酬は据え置き、政務調査費(今の政務活動費)は、月額3万円で決着しました。
私が諮問は無かったことにしましょうということも言えばできたのかも知れませんが、「次の人たちのために頑張ろう」と気持ちを切り替えて委員会に臨むこととしました。先ず私がメンバーに伝えたのは、議員定数は減らす必要はないということでした。何となく減らすのが既定路線と捉えていた節がありました。
他の多くの議会では、議員定数を減らして報酬を上げることが、「然もありなん」という感覚で議論されていることにも非常な違和感を覚えていました。人口が減少していく中で、では、議員は何名必要ですかと聞かれたらあなたはどう答えますか。私は、「議会で議論して決める」だと考えています。
報酬については、議会で議論して決めるということもできますが、これまでは庄原市特別職報酬等審議会に諮っていましたので今回もその様にすることとしました。13年前の報酬審では、「働きが悪い議員が報酬のアップを申し出るのは理解できない」という趣旨の理由から現行通りとなりました。
しかし、今回は諸般の事情によりと私は解釈したのですが、何故か議長だけが月額3万円アップで、副議長、正副委員長、議員は2.5万円アップとの答申が出され、来年4月改選後の議会から適応されることとなります。私はもっとアップすべきという考えですが、その程度の働きということではないということをご理解いただきたい。
議員は何をしているのか分からないと良く皆さんおっしゃいますが、その分からん議員を選挙で選んでいるのがあなたたちなんです。もっと議員をリサーチして下さい。じゃあ、新人候補は何を判断基準とすれば良いのか?ええ加減なことを言う様ですが、「可能性に懸ける」です。しかし、当たり外れもあることをご承知おき下さい。
もっともっと書きたいのですが、書けば書く程、私の品位が下がますのでこの辺りで終わります。
[ 2024年12月25日(水) ]
毎日とはいきませんが、今朝は東城で朝の挨拶運動に参加してきました。一緒に立っている仲間が、「林さんは辞めると言っているが、立っているからまた出るみたいな噂があるよ」と言うので、大笑いしました。
現役議員も立候補予定の人も誰一人、朝の挨拶運動をされていないみたいですが、立った方がええですよ!「やったことがない」とか「立ちだしたら止めれない」とか、ネガティブ思考の人には無理なことではありますが、一度、舞台に立つと不思議なもので、「その気」になってくるもんなんです。
今朝はハプニングがありました。「私も手伝います」って、ある女性が飛び入り参加して下さいました。聞けば、「本人です」の襷をかけている男性の高校の後輩だそうです。山岳部に所属して活躍していたそうですから根性は半端ないですが、その気で来ていなかったのでスッピンだったと、少し後悔していました。
こうやって支援の輪が少しづつ広がっていくのを実感すると私たちも元気もりもりです。今年は27日まで挨拶運動を行いますが、雪が積もらないので助かっています。そして、来年も出来るだけ早くからやりたいと考えていますので、皆様のご支援、宜しくお願いします。一緒に立ってみたいという方は連絡下さい。
[ 2024年12月24日(火) ]
ブログに書きたいことは山ほどあるのですが、今は書けないというか、書けば影響が大きく、日の目を見ることはないと思います。それにしても、人の噂話なんて、「事実を誰も言わないから」、嘘ばかりです。
私は議員に成りたての頃には、言いたい放題でした。その内容は殆どが、「批判」であり、悪口であったとも言えます。今は年齢を重ね、考えて言うようになったのですが、考えているうちに段々と言わなくなってきました。これを言えば〇〇さんに悪影響がとか、誤解を与えるとか、ことなかれ主義に陥ったのかも知れません。
私のブログの読者さんは、「今日は変わったことが書いてあるか」とか、「市議会の裏話が聞けるか」なんてことを思いながら開かれるのだと思いますが、近頃は全く面白くない書きものばかりです。私は今期限りで市議会議員を引退しますが、「言ってはいけない」、「書いてはいけない」と言われ続けてきました。
ましてや議長になった途端に、「発言は慎重に」とか言われ、私の心の中では、「何かが違う」と独り言。自分の中では、70歳で議員を引退すると漠然と決めていました。他の議員がしなかったこと、やらなかったことを徹底的にやると決意して議員になった私ですが、かなりの部分、やった感はあります。
議会改革を20年間言い続けやり続けてきましたが、問題は、一般市民の皆さんは議会のことを殆どご存知ないことです。議会のルールは非常識とまでは言いませんが、時代にマッチしないものが相当にあります。国会で政治資金規正法について侃々諤々していますが、こちらも議員の独りよがりです。
ですから、来春の市議会議員選挙に多くの新人さんが立候補することは大歓迎です。新しい感覚で議会を運営して新しい庄原市議会を作り、新たな庄原市を創って欲しいですね。分かった様なことをいう議員は必要ありません。分からないことに果敢にチャレンジして欲しいのです。分からないことは恥ではありません。
久々に素直な気持ちでブログを書くことができました。これからは70歳から始めたいことも交えながらブログを書いていきます。
[ 2024年12月22日(日) ]
今年も残り少なくなってきましたが、来年1月12日で私は満70歳になります。自分で言いうのも何ですが、「良くぞ、ここまで元気で働くことができた」というのが正直な感想です。
昨年12月31日午後9時、「死ぬかも分からない」という程の腹痛に襲われ、それでも我慢に我慢を重ね、1月2日に日赤の緊急外来を受診しました。自分でも何故我慢したのか分かりませんが、「正月に迷惑をかけてはいけない」という程度のものだったのでしょうが、今にして思えば、早くに行けば良かったと。
挙句の果てに、胆嚢炎ということで2度の手術を受け、議会にも迷惑をかけ、死の淵から帰ってくることができました。先ほど、早くに行けば良かったと書きましたが、全ての事情をお話することはできませんが、実は結果オーライだったのです。本当に運が良かったとしか思えないことの連続だったのです。
本気で、「生かされている自分」というものを意識しました。これまで何度も色々な疾病で入院や手術を経験してきていますが、「死ぬるかも分からない」と意識したのは人生初めてです。皆さん異口同音に、「あんたは飲み過ぎじゃ」ですから、自業自得といえます。
これからつまらんことを書きますが、許して下さい。酒を飲んでみようかと考えています。12月31日か1月1日のどちからの日に飲んでみようかと。問題は、元の木阿弥になるのではと心配しています。ある友人は、「長生きしたければ飲むな」と言っています。彼は胆嚢炎から断酒して90過ぎまで生きているのです。
私の母親は来年3月で満102歳を迎えることができると思います。それがどうしたですが、私もひょっとして長生きの家系かも知れないと思い込んでいます。(親父が脳梗塞でかなり前に亡くなっていることは内緒です。)結論は、長生きしたいなと本気で思い始めている私です。
[ 2024年12月20日(金) ]
今朝は7時から朝の挨拶運動を行い市議会へと向かいました。我家を出た時は氷点下4度でしたが、立っていると段々と寒さが凍みてきてロボコップ状態になっていきました。これもまた修行なり。
議会棟に着くと議会運営委員会に出席し議事運営について協議し、議場へと移動し本会議となりました。殆どは予算決算常任委員会からの報告をうけての補正予算の採決でしたが、全て原案可決となりました。発議(条例改正1本、意見書2本)が3本提出されましたが、3本とも全会一致で可決されました。
そして、3常任委員会からそれぞれの所管事務調査が報告されました。詳しい内容についてはYouTube録画で確認してみて下さい。今日は議会広報委員会も開催され、議会だよりに所管事務調査報告全文を掲載することにしたのですが、QRコードを付けるだけで報告できるので正に時代の変化を感じます(読み取りが必要です)。
議会改革の一環で議会広報の一部をを委員会で編集していますが、段々と慣れてきて打合せもスムーズにできる様になりました。12月議会の議会だよりは来年2月20日発行となりますが、来年3月議会の議会だよりは5月発行となり改選直前まで編集作業となるのではないでしょうか?
今日はこれから議員忘年会で帝釈に向かいますが、お酒を飲む議員も少なくなりましたね。第一、私が飲まないのですから。
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