― はやし高正が日々の気になる出来事に関することを書いています
| « 前のページ | | | 次のページ » |
終戦記念日[ 2022年8月15日(月) ]
私の叔父は特攻隊で亡くなりましたが、以前のブログにも書いていますが、何時どこで亡くなったのか、本当のところは分かっていません。終戦後に仲間と飛び立ち沖縄沖で亡くなったのではというお話もあります。
三次の鳳源寺に遺骨を取りに来てくださいという連絡があり、母親と姉である私の母が引き取りに行ったのだそうです。中に入っていたのは赤い紙が1枚だけで遺骨は無かったそうです。特攻隊ですから遺骨なんてある訳ないですよね。叔父は20歳でした。当時、庄原からも特攻隊に志願した若者がいたそうです。
親父は中国戦線からシベリアに抑留され命からがら帰国したそうですが、帰ってから元の身体に戻るまで大変だったそうです。戦争ってなにも良いことはありません。人と人が殺しあうのですからね。今日は終戦記念日ですが、靖国神社に閣僚が参拝すると、中国や韓国が猛反発するのですが、戦後77年経っているのですが、根本的解決はできないのでしょうか。
私はドイツのベルリンで鎮魂のモニュメントを見ましたが、壮大な墓地に巨大な墓石が立っている様に私には見えました。唯一の被爆国である日本が本音で発信できないもどかしさをいつも感じていますが、それは戦後の日本の複雑な事情にあるのかも知れません。所謂、敗戦の総括をせず、アメリカの援助で戦後復興を成し遂げたことも考えられます。
我家がデイサービス[ 2022年8月14日(日) ]
昨日は、お盆休みといっても何もすることはなく、お墓参りに行ってお昼からビールを飲んで昼寝をしていました。今日はお袋をシャワー介助することにしていますが、これが結構大変な作業なんです。デイサービスの皆さん、いつもありがとうございます。
近頃どうもお袋の脳の働きがイマイチで、今朝も、「今日はデイサービスですか」と大きな声で私たちを呼びます。日めくりカレンダーは14日日曜日なのですが、頭の中は、「毎日がデイサービス」みたいです。今朝も3時過ぎから起きていますが、いつでも寝れるお袋には時間は関係ありません。時々、病院で貰った軽い安定剤を飲ませるのですが、2日程度は静かにしています。
出来るだけ薬は飲ませないことを基本としていますが、様子を見ながら調整しています。便秘になると中々改善しないので、家内が便の状態を毎回確認しています。年齢が年齢ですから、どの程度薬が効くのか毎回違いますので、兎に角、身体の状態を把握することが重要です。毎日、朝と夕に血圧、脈拍を測って記録していますが、レコーディングは重要です。
問題は、内臓疾患などは薬や食事で改善することはできますが、記憶というか考える力は回復してくれません。このサプリを飲めばという様な宣伝がありますが、高齢者には如何なものかと思います。お袋も昔のことは良く覚えていますが、5分前のことは直ぐに忘れます。自分では、「100歳まで生きるかの」と言っていますが、100歳まで生きるという意思を感じます。
お盆です[ 2022年8月12日(金) ]
今年の平均的お盆休みは、8月13日から16日の4日間だそうですが、我社は11日の「山の日」から休みとしています。誰も泊まりに来るわけでもなく、どこに出掛けるでもなく、お盆の行事は全て中止となり、何とも味気ないものです。
そろそろ新型コロナウイルスをインフルエンザ並みの第5類にすべき時期に来ているのではと私は思います。どうして未だに2類なのか具体的な説明が欲しいところです。「今はまだ2類で」という説明は説得力がありません。コロナに感染すると取りあえず10日間自宅待機が保健所から言われますが、病院での治療も薬もありません。個人的に風邪薬を服用する程度です。
倦怠感や食欲不振は確かにありますが、インフルエンザにはタミフルという特効薬がありますが、コロナはひたすら静養するのみです。今年のお盆の状況を見てください。移動制限がありませんから多くの人が帰省したり旅行にでかけています。今日は新幹線の乗車率が100%を超えたという報道もありましたが、政府の言ってることと国民の行動が違い過ぎると思いませんか。
4回目のワクチン接種を19日に受けることになっていますが、受けます。しかし、オミクロン株に特化したワクチン接種も予定されていますが、どうなんでしょう。政府も迷走を続けているという印象しか私は持っていません。尾身会長たち有志による提言も生かされている様には思えません。
今は、コロナと共存しながら台湾海峡問題を真剣に議論する必要があります。中国は本気です。北朝鮮の当るかどうか分からないミサイルに比べ命中精度は相当に高いみたいです。
少し間が空きました[ 2022年8月11日(木) ]
別に体調が悪いとかではありませんが(ギックリ腰はかなり回復してきています)、一寸忙しくしていました。私が住む地域を「漆の里」にしようと皆さんと協議を重ねてきていましたが、ついに動き始めます。
第1期として、バッファゾーンとして整備した山の内約1haを開墾して漆を植えられる畑の様な状態にします。本当はここが非常に重要なとろこなんです。というのは、どうでも3年から5年は下草を刈らなければならないのですが、漆は樹液が取れるようになるまで最低10年はかかります。その間、無収入で、全ての作業は無報酬です。
だから、漆を植えて樹液販売まで目指す人が現れないのです。我々はその間に、漆搔き職人も養成しなければならない訳ですから、益々、ハードルは高くなります。では何故そうまでして漆を植えるかですが、かっこ良く言えば、「使命感」からです。日本で現在流通しているウルシ液は殆どが中国産で、国産ウルシ液は5%程度だと言われています。
私のブログを丁寧に読まれている読者のみなさんは、どうして漆を植えることになったかという顛末はご存知だと思いますが、現在も計画は拡大中です。私は現在67歳ですので、10年後は77歳になっている計算ですが、運が良ければ漆搔き職人になっているかも知れません。漆掻きはそれほど体力は要りませんので、高齢者でもできます。
今回の計画が実行に移せるようになった大きな要因は、京都府にあるNPO法人丹波漆さんとの交流です。丹波漆さんのサイトをご覧いただければ、私たちの目指すものがご理解いただけると思います。
明日は原爆記念日[ 2022年8月5日(金) ]
1945年8月6日に広島市に原子爆弾が投下されました。実は私は被爆2世です。母が広島市内に暮らす姉の家族を探しに市内に入ったことによる、「入市被爆」と認定されています。その時、姉のお腹には赤ちゃんがおり、その後、胎内被爆した赤ちゃんを産みました。
伯父の被爆は相当に酷かったみたいで、我家に身を寄せて治療したそうです。伯母は我家で赤ちゃんを産みましたので、今でも従姉は、「私は庄原生まれ」と言っています。その後伯父は元気になり働いていましたが、原爆症で亡くなりました。胎内被爆の従姉は若い頃はいつまで生きられるかとビクビクしていましたが、お蔭様で今でも元気です。
そんな関係から、伯母の家族とは本当に仲良く、高校生の頃までは良く行き来していました。ですので、広島で8月6日を迎えることもあり、8時15分には全ての時間が止まった様になり全員で黙祷していました。それが、大学に進学して大阪にいた8月6日8時15分、誰も立ち止まりもしない、誰も黙祷もしない、ショックを受けました。
広島市や長崎市には原子爆弾が落とされ多くの被爆者が未だに苦しんでいます。ロシアにようウクライナ侵略で原子爆弾をロシアが使うのではないかと心配されていますが、原子爆弾の恐ろしさは被爆地に来て被爆者の話を聞き、原爆資料館で実相に触れることでしか理解できないのかも知れません。被爆者の高齢化による風化が心配されいますが、語り続けなければなりません。
| « 前のページ | | | 次のページ » |