昨夜はぷちぷち同窓会

[ 2011年5月7日(土) ]

昨日、あるホームセンターにいると、「おい」と後ろから声がするではありませんか。「おう、どうしたん」となり、しばし2人で話し込みました。彼は高校の同級生A君で、連休中は実家の総領に帰っているのだそうです。

飲むかということで、もう1人総領にいる同級生T君を誘い、昨夜はたった3人のぷちぷち同窓会を開きました。お互いに近況報告をしながら、「あいつはどうしてる」とか「あの先生が亡くなった」とか、高校時代にタイムスリップしていきました。実は、1日に三次で12人のぷち同窓会をしていたんで、その話題でも盛り上がりました。

50歳を過ぎれば、昔が懐かしくなってくるものだと聞いてはいましたが、本当に自分たちもそうなってきました。年齢を重ねる毎にその思いは強くなるようです。昨日は、広島にいるA君に、「早く帰って来い。仕事はワシらが何とかしてやるけえ」と、遊び仲間にしてやろうと説得工作を行ないました。

そしてお互いの深刻な問題は、親の介護のことでした。我家にも88歳の母がいますが、幸いに元気で動いていますから手はさほどかかっていません。A君のお母さんはつい最近まで入院していて、病院の送迎が大変だと言っていました。T君も母親が骨折して入院していたそうです。

そんな話題を切り替えるために行った2軒目のスナックでは大盛り上がりとなりました。別に書けない内容ではないのですが、戦後直ぐの出来事を面白おかしく聞かせていただき、凄い時代もあったんだなあ~と、感心した次第です。たった3人で盛り上がったぷちぷち同窓会でした。

母の日

[ 2011年5月6日(金) ]

8日が「母の日」ということですが、家内は一足早く、今日実家に花束のプレゼントを持って出かけました。翌日の9日が家内の誕生日なのですが、8日に持っていけばいかにも自分にもプレゼントを頂戴的なので、今日行ったのだと思います。

「母の日」の起源などはクリックしていただければお分かりだろうと思いますが、どうも日本の場合、商業者の企てみたいに思えます。カーネーションの花束が段々と豪華になっていき、年に1度の全国花屋さんフェスティバルとなったようです。

「父の日」もありますが、父の日はバラの花を贈るということをご存知でしょうか。存命中は赤いバラ、亡くなったら墓前に白いバラをお供えするそうです。日本では何故かバラの花ではなく、衣料品のプレゼントが多いみたいですね。花屋さんがもう少し頑張ったら、年に2回のフェスティバルも可能だったのにと思います。

親にしてみれば、いつまでも子供は子供であり、子供にしてみれば、いつまでも親は親であり、追い越すことはできません。私の母にも同じ花束を準備していましたので、夜にでも渡すつもりでしょう。誰でもプレゼントをいただくことは嬉しいものだと思います。それも、キレイな花束ならなお更です。

高野に行ってきました

[ 2011年5月5日(木) ]

急用ができたので、午後から急遽、高野に上がってきました。用事そのものは直ぐに済んだのですが、折角の高野ですので、同級生に会って久々に情報交換を行ないました。

高野は百姓真っ盛りで、どの田圃にもトラクターが入って代掻きをしていました。ちらほら、田植えをしている人も見えましたが、休みの関係から植えておられるのではないでしょうか。どこもそうでしょうが、気候に合わせるのではなく、勤めに合わせるのが今の百姓みたいですね。

高野は言葉が島根弁(出雲弁に近い)ですので、昔は理解できないこともありましたが、慣れたせいもあるかもしれませんが、今ではそんなことはありません。今から30数年前に聞いた言葉で強烈だったのは、「ごせえ」でした。「下さい」という意味で使うのですが、「タバコ、ごせえ」には参りました。

そして、家のことを「やど」と言います。これは今でも相当に使われていると思います。今は滅多と高野に上がらなくなりましたので、高野言葉も忘れてしまいました。高野のお嫁さんの多くはお隣の三成から嫁がれているように聞いています。そんな関係もあり、独特の高野言葉が使われているのかも知れませんね。

尾道松江線の開通を待ち望んでおられる高野町のみなさん、町全体をもっと特長のあるものにしてはどうかと思います。私にはまちが少し殺風景に見えるのですが、どうでしょう。もう一工夫、知恵をだしてみましょうや!

行楽日和

[ 2011年5月4日(水) ]

今日は用事があって福山方面に行ってきました。行きは、上下から三和を通り神辺に下りたのですが、凄い数の車が福山から上がってきていました。帰りは、駅家から府中、上下、総領を通ったのですが、総領辺りから反対車線が車で一杯でした。

東日本の大震災で全てを自粛するという風潮がありましたが、過度の自粛は逆に被災地の経済活動まで冷え込ませることになると被災地からの発信があり、頑張ろうにっぽんが動き始めました。自動車道の大渋滞や各地の行楽地の賑やかさを見る限りでは、東日本の大震災があったのかと首を傾げたくなる光景ではありますが・・・・・

しかし、これから震災の影響が徐々に出てきます。既に自動車部品メーカーなどは操業を止めているとういか、操業できない状況が発生しています。マツダも特別損失を計上していますが、もっともっと深刻さを増すのではないでしょうか。自動車部品の会社が東日本にあれほど集中していたとは驚きでした。それも、シェアーが半端じゃない!

南部美人の社長は、花見をして日本酒を飲んで下さい。それが被災地への支援となりますとユーチューブでおっしゃっていましたが、そうかそうかとは中々割り切れないものがあるのも事実です。今日、南部から北部に上がられた多くの皆さんは、野山に行かれたのではないでしょうか。正に、行楽だったはずです。

多くの車は家族連れでした。お財布爺や・婆やではなく、家族ということを見つめ直す、震災からの教訓だと思います。

今日は田植えでした

[ 2011年5月3日(火) ]

低温で苗の成長が悪いといわれていますが、我家は農協の育苗センターで育てられた元気な苗で田植えを終えることができました。まあ、たった2反しかないのですから、午後12時には焼肉でビールとなっていました。

確かに寒いといえば寒い感じは受けましたが、予定していた通りに田植えを行なわないと次の予定がありますので、植えました。ご近所の方が、「流石はプロじゃのう、ええ苗じゃ」と言われるくらい、揃った苗でした。育苗技術の進歩もあるのでしょうが、根も均一に張っており、活着の心配もありません。

昔は種籾から苗を作っていたのですが、管理する手間を考え、苗を購入するようになって既に20年からになります。実は苗の生育で稲の出来が左右されるのです。極端な低温が続く場合や病気は別として、元気な苗を植えておくと先ずは元気な稲に成長していきます。何でもそうですが、最初が肝心ということです。

今日は瀬戸田にいる甥夫婦が子供2人を連れてやってきました。親父は子どもの頃にしたことがあるので、息子の希望を叶えてやりたかったのです。中1の息子は苗運びを一所懸命に手伝ってくれ、私は大いに助かりました。実際に田圃に入っての田植えは今回できなかったのですが、来年は着替えを持ってくるといっていました。

来年は酒米に挑戦しなければならないかも知れません。今年は間に合わなかった酒米作りを来年は自分たちで行なうことにしています。しかし、私の技術では多分、無理でしょうね。