明日は同窓会

[ 2025年8月8日(金) ]

明日は、三次高等学校昭和48年卒 学年同窓会を三次グランドホテルで開催します。387名の卒業生中50名が集まりますが、今回の同窓会の諸連絡は全てLINEグループを活用して行いましたので通信費ゼロ円です。

こんな時代がくるとは全く予想していませんでした。コンピューターが登場して本当に時代が大きく変わってきました。40年程前、我社ではコンピューターを導入しました。1人で夜な夜な教科書と睨めっこしながら、胃潰瘍にもなりながらコンピューターが何とか使える様になりました。

今ではチャットGPTに代表される人工知能AIがドンドン進化していっています。今日の読売新聞に、アメリカの新興AI企業が無断で記事を転載しているので訴えたとありましたが、検索するためにはその基となる資料が必要です。今ではGoogleで検索するよりもAIに聞いた方が早いので、私もついつい聞いています。

話を同窓会に戻すと、印刷物が基本的にありません。参加者名簿はデータとPDFで共有しています。校歌や応援歌は同窓会HPから動画付きを貼り付けました。会場の写真はLINEの同窓会アルバムに各自がアップすることにしています。印刷したのは名札だけです。ただ会費だけは現金となっています。

古希同窓会修学旅行は10月26日27日の1泊2日で岡山県高梁市の備中松山城の雲海を見ることをメインに実施することになりました。芸備線で広島駅から備後落合経由で新見まで行き、伯備線で備中高梁。翌日は、岡山に移動して新幹線で広島。広島から三次ライナーで三次に帰ってきます。宿泊するホテルの関係で、募集は限定20名です。

古希同窓会修学旅行が皆さん気になるみたいですが、このためだけに東京から帰ってくる同級生もいます。

 

広島原爆の日

[ 2025年8月6日(水) ]

80年前の8月6日午前8時15分、アメリカ軍により世界で初の原子爆弾が広島市上空に投下され地上よりおよそ600mで爆発しました。原子爆弾は、想像を絶する爆発で広島市一面が焼け野原となったのです。

これまで原爆の日のブログに何度も書いていますが、当時、広島市内には母の2人の姉家族が住んでいました。1人の姉家族は幸いに被害も少なく何とか自力で生活できる状態だったそうですが、もう1人の姉の家族は勤労奉仕中の主人が大やけどを負い似島に収容されており、見つけ出すのが大変だったそうです。

新型爆弾大爆発との報は直ぐに庄原にも届きましたので、私の母と兄が広島市内に姉妹の安否確認に入って行ったのだそうです。先ほど書いた通り、大やけどを負って見つかったのですが、病院が機能していない状況ですので、夫婦を連れて庄原の実家に戻り、庄原で医者に通いながら治療したそうです。

その時、母の姉は身ごもっていましたが、元気な女の子が生まれました。彼女は体内被曝のことを気にしていましたが、今も元気に暮らしています。大やけどを負った父親は50年程前に亡くなりましたが、病名は原爆症でした。親族で被爆者手帳を持っているのは、私の母と胎内被爆した従姉の2人だけとなりました。

今も世界各地で戦争をしています。そして、最後の砦として核兵器があるとの論法を核保有国は展開していますが、詭弁です。核爆弾は全てを破壊します。核抑止なんてことはありません。No More Hiroshima. No More Nagasaki.

 

 

本当に雨は降るの?

[ 2025年8月5日(火) ]

昨日は小泉農水大臣が魚沼を訪れて、「水は何としても確保します」と大見えを切って、溜池の側の道路に給水車を停めて池に水を入れるパフォーマンスには呆れました。我が集落の溜池には道路がありません。

天気予報では今日の午後から雨が降るそうですが、全くその気配はありません。昨日のブログにも書きましたが、多くの溜池の貯水量はほぼ限界を迎えています。これまでの経験で、稲が田圃で枯れたことはありませんが、今年は枯れた稲を見ることになるかも知れません。

野菜も果物も水不足で作柄は良くないそうですが、作物全般が熱中症になっています。お米の増産を政府は発表するようですが、この異常気象の中で本当にできるのでしょうか?耕作放棄地を田圃に戻すことは可能だと思っているのでしょうか。溜池の状況や水路の状況もご存知なのでしょうか。

中山間地域の零細農家は既に農業そのものを諦めています。農業政策だけでなく、有害鳥獣の被害が深刻で、営農意欲はなくなっています。どうして農家が電気牧柵やワイヤーメッシュを張り巡らせなければならないのですか。僅かな補助金を出すことで行政の責任は無いとでも言いたいのでしょうか。

場当たりの農林業政策でありながら、「地域活性化」と選挙の時だけいう政治屋ばかりです。活性化できると思いますか、皆さん。出来たところはゼロです。僅かな補助金で口封じです。

 

雨が降らんですね

[ 2025年8月4日(月) ]

集落の溜池の水位があと僅かとなっています。このまま雨が降らないと完全に干上がってしまいますし、当然、田圃も干上がります。殆どの田圃は飼料稲(WCS)を植えていますが、飯米を植えている方もおられます。

二つの溜池があるのですが、大きな方はまだ何とかという感じですが、小さな方は底が見える状況です。木曜日は雨マークがでていますが、少しでも良いから直ぐにでも降って欲しいというのが正直な気持ちです。昔なら池の土手に集まって協議するのですが、今はLINEグループで協議しています。

私が子どもの頃ですから今から60年くらい前だと思いますが、溜池の水が厳しいので小川を堰き止めて溜まった僅かな水をポンプで溜池に送っていたことがあります。稲を枯らすことは死活問題ですから、必死だったのです。当時は構造改善もしていませんから、水路も素掘りで漏水も相当にあったと思います。

ゲリラ豪雨は確かに大雨は降りますが、殆ど地面に滲みこまず地表を流れてしまいますので、溜池には思ったほど溜まりません。それこそ大昔なら、「雨ごい」の神事をしたり、千把焚きをしたでしょうが、生計に占める水稲収入の割合は小さくなっており、「運命を天に任せる」ことになります。

このまま雨が降らない状況が続けば、溜池に依存している稲作農家は正に干上がってしまいます。

韓国の娘がやってきます

[ 2025年8月2日(土) ]

今から20年以上前、金光教のご縁で家族で韓国に旅行したことがあります。当時はインターネットもアナログでしたが、韓国金光教の先生とパソコン通信していたら、「韓国に行こう」となったと記憶しています。

先生の知り合いの大学生が通訳兼ガイドをしてくれることになり、空港に迎えに来てくれました。男女2名だったのですが、つたない日本語で一所懸命ガイドしてくれる姿に感激し、「次回は日本で会いましょう」と約束して別れました。それから何年か経ったある日、「勉強するために日本に行きます」と女性から連絡が来たのです。

彼女は岡山のある団体で勉強を始めたることが決まっていたので、来日に合わせて私たち夫婦で訪ねて行きました。困ったことがあると相談してくるので、何度か岡山に行った様に思います。それから彼女は東京で働くことになり、私の東京の友人が色々とお世話してくれ日本に永住するのかと思っていたのですが、帰国していました。

それからも通訳として福岡や東京で働いたりしていましたが、今は韓国で日本語を活かして働いています。その韓国娘から昨日LINEで、「韓国に来ませんか」とお誘いがありましたが、お袋の介護があるから難しいと言うと、「私がそちらに行きます」と返信が来たという次第です。

私には掃除でご縁ができて日本に留学してきてそのまま大阪に住んでいる中国の娘と、今回やってくる韓国の娘と、2人の娘がいます。2人ともお母さんになっており、私たち夫婦は日本の「爺ちゃん、婆ちゃん」です。