― はやし高正が日々の気になる出来事に関することを書いています
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[ 2025年10月7日(火) ]
ときどき写真日記に私たちと一緒に写っている韓国の孫とお母さん(娘)が日本にやってきました。かなり前のことですが、私たちが家族旅行でソウルに行った時、通訳をしてくれた子(当時大学生)との交流が今も続いています。
彼女(ジンスク)は日本で働いていたことがありますし、息子(ユビン)も東京の小学校に通っていたことがありますので、私たちとの会話は日本語です。ユビンが高校を卒業したら軍隊に行くことになるので、もう一度日本に行ってみようとなったのだそうです。韓国は徴兵制があり、今は1年半の兵役義務があります。
韓国人の訪日目的地として、尾道の千光寺がかなり高い人気だそうです。昨日はケーブルカーで山頂の展望台まで行ったのですが、その殆どが中国と韓国の団体旅行者でした。彼らは展望台に上ったら次に千光寺に降りて行き、写真を撮っていました。千光寺からのインスタ等が韓国では大人気なんだそうです。
それと韓国の鉄道には踏切が殆どない(ソウルは地下鉄が多い)ので、山陽線の列車が踏切を通過するところを録画してYouTubeにアップするのが流行っているのだそうです。それも決まった場所(アーケード街のある地点)からでないとダメなんだとか。私は理解できない。
そして、必ず、尾道ラーメンを食べるのだそうです。それも元祖尾道ラーメン店でないとダメなんだとか。ときどき写真日記に写っているお店がそうです。先ほど、親子は広島市内に向けて高速バスで出発しました。今日と明日は広島観光だそうです。次は私たちがソウルに行くと思います。
[ 2025年10月4日(土) ]
昨日のブログの続きです。中国掃除に学ぶ会で中国各地を訪問しましたが、まず、その経緯からお話しましょう。広島に私の師匠である井辻栄輔氏がいらっしゃいます。餃子の皮の井辻食産の現在は快調です。
井辻さんとは最初はパソコンで繋がりました。そして鍵山秀三郎さんと繋がる掃除に学ぶ会も今は亡き、中村さんが繋げてくれたのです。彼は比和町出身でリコーのセールスマンでした。ご縁は不思議で、西田先輩の奥様は井辻食産で働かれていたのです。こうやってドンドン色々な人たちと繋がっていきました。
井辻さんは中国人留学生の身元引受人をされており、引き受ける条件は、「毎月1回の掃除に学ぶ会に参加すること」だったのです。そんな中国人留学生とのご縁から彼らの出身大学に掃除に行くことなり、その第1回目が北京の科技大学でした。後にこの科技大学でオリンピックのレスリングが行われました。
鍵山秀三郎さんとは2回目の中国の時が最初だったのではないかと思います。その時は鍵山さんの奥さん、井辻さんの奥さん、私の家内も一緒でした。それから何度かご一緒するのですが、朝のトイレ掃除が終わってホテルに帰り、レストランでビールを飲みながら鍵山さんと時間が許す限り懇談していました。
そのころの鍵山さんは、「お掃除の神さま」という存在でしたから、講演会も各地で開催されていました。講演会では、凡事徹底、良樹細根、分度推譲、一念一行など冊子に纏められた話題が殆どですが、私たちとの懇談では、人間、鍵山秀三郎の飾らない人生を語って下さいました。
[ 2025年10月3日(金) ]
今年1月2日に91歳で亡くなられたイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、私の人生に強い影響を与えて下さった方です。私の人生の正に転換点となった著書、「日々これ掃除」を読み返しています。
異業種Gの先輩が、「林、この本(日々これ掃除)を読んでみなさい」と1冊の本を私に渡されました。株式会社ローヤル社長 鍵山秀三郎と表紙書かれていました。当時の社名は株式会社ローヤルでしたが、店舗の名称はイエローハットで、その後、社名もイエローハットに統一されました。
今から30年くらい前のことですが、その本を読んでから1人で車を洗ったり、会社のトイレの掃除を始めました。最初は毎日ではなかったのですが、会社の車両事故が続いたので、「毎日、洗車します」と宣言して全員で毎日洗車することにしました。結果として、今では車両事故は皆無となっています。
トイレ掃除は、基本私は毎日トイレを掃除していますが、働きさんは交代で週に1回、トイレ掃除をしています。鍵山さんはトイレ掃除が有名ですが、実は会社経営においても「気づき」を基本とされており、掃除はその入り口に当たります。毎日同じトイレを掃除しながら、毎日違う「気づき」があるのです。
そのことが仕事に生きており、結果として上場企業にまでなられました。私は何度か山口にある物流センターに行かせていただきましたが、終業時には机の文具類などは全て収納され何もなくなります。その文具類も必要最低限のものしかありません。車もキレイに並べられており、まるで中古車センターです。
私は鍵山さんと何度も中国にご一緒して彼の哲学を学ばせていただきましたので、次回のブログはその辺りを書かせていただきます。
[ 2025年10月2日(木) ]
どこかの市ではスマホの使用時間を条例で定めたそうですが、今ではスマホは生活必需品ともいえます。私は1日に何時間スマホを操作しているのかと考えてみたら、1時間もいらっていないことに気づきました。
私は事務所にいることが多いのでスマホよりはパソコンを使っている時間が結構長いことも分かりました。パソコンは1日3時間程度は操作していると思います。思い返しているのですが、携帯電話は40年くらい前に使い始めましたが、当時の電波状況は悪く繋がらない携帯でした。ですから、電波の強い場所まで行っていました。
程なく、パソコン通信を始めましたので携帯電話よりもメールで仲間と連絡を取るようになり、今でも連絡はパソコンメールかSNS(LINE、Facebook等)で行っています。私の周りをみると、皆さんスマホを覗き込んでおられます。何を見られているのか分かりませんが、文字を打ち込む光景は殆どありません。
私がスマホで便利だなと思うし、便利良く使っているのは今はLINEグループです。同窓会もほぼLINEグループで打合せや連絡事項等を行いました。古希修学旅行もそうです。集落内G、営農集団G、漆G、異業種Gと全てLINEグループで連絡を取り合っています。写真の添付なども簡単にできますし、データも転送できます。
スマホの問題は、やはり長時間の操作にあるのでしょう。これからはAIの使用頻度が高くなっていくと思えるので、何でもかでもAIに相談する時代が来そうですね。そうなると、自分の頭で考えなくなる時代でもあります。既に検索ソフトは陳腐となりつつあります。
[ 2025年10月1日(水) ]
先ほどまで来ていた友人と親の介護について話していました。周りにこれほど介護をしている人たちがいるんだと改めて認識しましたが、私の母親は102歳ですが認知症もなく暮らしていることに感謝です。
友人の母親は認知症から息子の名前も言えないそうです。私も昔から知っているお母さんですから、「本当に?」って聞き返しました。花粉症の季節になると鼻の穴にティッシュを詰めていた姿を思い出します。本当は面白いお母さんだったのですが、段々と認知が出てきて塞ぎ込む様になっていったそうです。
私の母親も実は認知症になりかけた時期はありましたが、何がどう作用したのか復活しています。これは私の経験からの勝手解釈ですが、刺激がなくなると認知症になり易いのではないでしょうか。つまり、頭で考えなくなり、考えなくても生活できることで脳に刺激がない状態が続くことで認知症を発症するのではないでしょうか。
CDで昔の唱歌や童謡を流したり一緒に歌ったり、色鉛筆で塗り絵をさせたり、数字合わせのゲームをしたりと試行錯誤しました。簡単な応答ができるオモチャのロボットと話したりもしましたが、子どもの頃にした勉強と同じ様なことをするのが私の母親には良かったのかなと思ったりもしています。
時には言うことを聞かないので叱ったりもしましたが、これはこれで良かったかも知れません。泣いて、「何で怒るんなら」と言ったこともあります。それと、私の母親は3度3度の食事を楽しみにしていることです。それを可能とするのは入歯安定剤で本人のハブに合うように調整しているからです。噛んで脳を刺激することです。
色々と書きましたが、認知症を発症する原因は特定できません。複合的な要因が作用して発症するみたいです。ですから、私の母親は運が良いとしか言えません。
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