広島原爆の日

[ 2025年8月6日(水) ]

80年前の8月6日午前8時15分、アメリカ軍により世界で初の原子爆弾が広島市上空に投下され地上よりおよそ600mで爆発しました。原子爆弾は、想像を絶する爆発で広島市一面が焼け野原となったのです。

これまで原爆の日のブログに何度も書いていますが、当時、広島市内には母の2人の姉家族が住んでいました。1人の姉家族は幸いに被害も少なく何とか自力で生活できる状態だったそうですが、もう1人の姉の家族は勤労奉仕中の主人が大やけどを負い似島に収容されており、見つけ出すのが大変だったそうです。

新型爆弾大爆発との報は直ぐに庄原にも届きましたので、私の母と兄が広島市内に姉妹の安否確認に入って行ったのだそうです。先ほど書いた通り、大やけどを負って見つかったのですが、病院が機能していない状況ですので、夫婦を連れて庄原の実家に戻り、庄原で医者に通いながら治療したそうです。

その時、母の姉は身ごもっていましたが、元気な女の子が生まれました。彼女は体内被曝のことを気にしていましたが、今も元気に暮らしています。大やけどを負った父親は50年程前に亡くなりましたが、病名は原爆症でした。親族で被爆者手帳を持っているのは、私の母と胎内被爆した従姉の2人だけとなりました。

今も世界各地で戦争をしています。そして、最後の砦として核兵器があるとの論法を核保有国は展開していますが、詭弁です。核爆弾は全てを破壊します。核抑止なんてことはありません。No More Hiroshima. No More Nagasaki.