― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
« 前のページ | | | 次のページ » |
[ 2008年5月3日(土) ]
僅か2反ほどですから、午前中の3時間でキレイに終わってしまいました。品種は「コシヒカリ」で、もう20年くらいこの品種を植えています。最初の頃は「コケヒカリ」とか言われていましたが、今ではこけなくなりました。
近くに住む義兄夫婦と私達夫婦の4名でやるのですが、私が唯一田圃に入るのがこの田植の日です。私の嫁さんは非農家から嫁いできているのですが、彼女も唯一田圃に入る日は、田植の日となります。昔は稲刈りも自分達でやっていたのですが、今ではご近所の方に稲刈りと乾燥・調整もお願いしています。ですから、農家ですと自信を持って言える状態ではないわけです。
昔は、どの家でも牛を飼っており、堆肥を田圃に入れて鋤きこんでいました。私の子供時代は耕運機が主流でしたが、高校生の頃から農機具が猛烈な勢いで進化していったように記憶しています。田植機にはビックリしましたね。自動で植えるのですから。バインダーが出てきて、ハーベスターとなり、直ぐにコンバインとなったのかな。トラクターも登場して、機械貧乏という言葉もありましたね。
それらの農機具を全て揃えて、まるで競争の様に農業をしていた時代です。それから田圃を構造改善事業で大きくして、大型機械を使って集団でする農業になっていきました。このあたりから、自分達で農業をするという感覚ではなく、「営農集団」がするという他人事のようになった気がします。それに拍車をかけたのが、減反政策による生産調整です。そして、下がりっぱなしの米価により営農意欲は全くなくなりました。
自分達が食べる米だけはこだわるんだという、まるで利己主義的な米つくりになっています。我家の米は縁故米で全てなくなります。皆さんが、「美味しい」と喜んでくださいますので、嬉しくなります。近頃、パンの高騰でお米の消費が伸びているそうです。私が子供の頃に腹一杯食べれたのは、お米とふかし芋だけでした。
[ 2008年5月1日(木) ]
高町の国道端に朝から幟を立てて頭を下げる男性が現れたそうです。どうも、来年の市長選に立候補するつもりで、今から運動を展開しておられるようです。
情報によると西城町の方で51歳だそうです。広島県警や㈱マツダに勤務されていたようですが、政治家を目指して「一念発起」というところでしょうか。それにしても、自分の意志で出てこられたことに対しては、敬意を表すものです。直接お会いしてお話しをしていないので、これ以上のコメントは差し控えますが、これからの彼の同行には注視していきたいと思います。
[ 2008年4月27日(日) ]
今日は私が信心している宗教「金光教」の庄原教会が主催する『天地金乃神大祭』にお参りしました。大抵の人は、お金の神様と思われていたり、何故かコンコンさんと呼ばれたりしています。
ブログに宗教のことを書くことはどうかなと思ったのですが、今日は敢えて書かせてもらいましょう。私は仏教だろうがキリスト教だろうが、殆どの宗教の根っ子は同じだと考えています。京都山科にある一燈園では諸宗の真髄を拝むということを言われており、特定の宗教だけを信心するということはされていません。般若心経から明治天皇の詠まれた歌まで、何でも有りです。
「鰯の頭も信心から」ではありませんが、要は信心に理屈はいらないということだと思えます。太陽が昇らなければどうなりますか、ですから、太陽に向かって祈るのは至極当たり前だと私は考えます。空気や水も同じことです。生かされて生きているのが我々であり、地球号の全乗組員も実はそうなのです。植物も動物も全てがそうです。
私は色々な宗教を研究したことも勉強したこともありません。本当に何故か、金光教に出合っただけなんです。これこそが、私の運命だったのだと今でも考えています。詳しい内容は書きませんが、何の強制もない、ある意味、自由な宗教である金光教が私に合っていたのだと思います。自分で考えながら、信心しながら成長できる点が魅力です。
他の宗教を信心されている皆さんには大変失礼なことを書いているのかも知れませんが、私の考えは間違っているとは思っていません。生きる上での羅針盤かも知れないし、時には台風を起こしたり、地震を起こしたりするマグマの様な不可思議なものであるかも知れません。兎に角、考えることが重要な宗教であると今の私は考えています。問題は、自分一人で答えを求めることなんです。
[ 2008年4月20日(日) ]
今日の午後から島根県の木次に行って来ました。別に当てがあるわけでなく、ただぶらりとドライブです。高野から島根に越して山を抜けて木次に着きました。川沿いの桜は散ってしまって葉桜となっていました。
何故に山の中にと思われるでしょうが、「里山」の新年度の構想を練っているのですが、良いアイデアが出てこず困っています。そこで、いっそのこと山の中を訪ねようと思った次第です。里山の暮らしという場面には出くわさなかったのですが、山と共生しているなと感じたのは、和牛が放牧されている風景でした。私は次回は、牛を飼いたいなと正直思いました。里山には、牛や鶏などの家畜が必須ではないでしょうか。
山と一緒に暮らすというのが里山文化だと思います。タタラなどはその代表ではないでしょうか。石見銀山などは里山を越えた例ですが、里山から生まれた文化は沢山あるはずです。刃物の進化、炭の文化も里山発です。料理の文化も里山発が多いのではないでしょうか。山の作業から生まれた道具もしかりです。そうなると、山に住むということ、実践がいるのではないかと運転しながら考えていました。
夢と現実がごちゃ混ぜ状態になっていますが、山に暮らさないと里山の具現化は難しいでしょうね。そこまですることが良いことなのか、やり過ぎなのかということも考えなければなりません。現代社会に掉さしてまですべきことではないでしょう。
[ 2008年4月16日(水) ]
断酒の影響とは思わないのですが、非常に「イライラ」しています。兎に角、腹が立つことが多すぎます。人間ができていないのですから仕方ないことではありますが、楽天とはなりません。
原因の一つは、携帯の不調です。この携帯に換えてからメールが送れなくなることが再々あり、もう昨日は頭に来て、携帯を床に投げつけてしまいました。機種交換して8ヶ月ですが、修理に出しても直らず、さりとて新品とは交換できませんと言われ、どうすればいいですかと聞きたくなりました。結局、もう一度修理にだすことになりましたが、恐らく直らないでしょうね。
ここで来客で、中断。
お客さんは、里山の炭窯に行ってきたそうで、「もう、火を止めていた」とおっしゃっていました。この調子なら、今週末には炭出しができるのではと思います。どの程度の炭が焼けているのかワクワクしますね。
雨が降れば、何で雨が降るんだと頭にくる訳です。寒いと、どうして寒いんだとなります。思い通りにならないことばかりが目について、「ええ加減にせえ」と腹を立ててみるのです。やはり、禁断症状ですかね?お酒を飲まない代わりに牛乳をよく飲むようになりました。ですから、水を飲む量は減りました。が、コーヒーを飲む量が増えました。結論からすると、水分の摂取量は増えたことになります。
夕食後の余暇の時間は確実に増えました。私は雑学派なので、新聞や雑誌をよく読むようになりました。寝る時間も早くなりました。お風呂にもゆっくりと入るようになりました。いいこと尽くめみたいですが、現実はイライラです。今も電話をかけていたのですが相手が出ないので腹が立って仕方ありません。虫の居所が悪いんでしょね。
皆さん、私を見たら近づかい、話しかけない。そう、そっとしておくことです。
« 前のページ | | | 次のページ » |