私の信心

[ 2008年4月27日(日) ]

今日は私が信心している宗教「金光教」の庄原教会が主催する『天地金乃神大祭』にお参りしました。大抵の人は、お金の神様と思われていたり、何故かコンコンさんと呼ばれたりしています。

ブログに宗教のことを書くことはどうかなと思ったのですが、今日は敢えて書かせてもらいましょう。私は仏教だろうがキリスト教だろうが、殆どの宗教の根っ子は同じだと考えています。京都山科にある一燈園では諸宗の真髄を拝むということを言われており、特定の宗教だけを信心するということはされていません。般若心経から明治天皇の詠まれた歌まで、何でも有りです。

「鰯の頭も信心から」ではありませんが、要は信心に理屈はいらないということだと思えます。太陽が昇らなければどうなりますか、ですから、太陽に向かって祈るのは至極当たり前だと私は考えます。空気や水も同じことです。生かされて生きているのが我々であり、地球号の全乗組員も実はそうなのです。植物も動物も全てがそうです。

私は色々な宗教を研究したことも勉強したこともありません。本当に何故か、金光教に出合っただけなんです。これこそが、私の運命だったのだと今でも考えています。詳しい内容は書きませんが、何の強制もない、ある意味、自由な宗教である金光教が私に合っていたのだと思います。自分で考えながら、信心しながら成長できる点が魅力です。

他の宗教を信心されている皆さんには大変失礼なことを書いているのかも知れませんが、私の考えは間違っているとは思っていません。生きる上での羅針盤かも知れないし、時には台風を起こしたり、地震を起こしたりするマグマの様な不可思議なものであるかも知れません。兎に角、考えることが重要な宗教であると今の私は考えています。問題は、自分一人で答えを求めることなんです。