― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
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[ 2008年5月22日(木) ]
今日は午後から議会報告会のチラシをミニバイクで配って歩いたが、正直、くたびれた。庄原弁か広島弁かは知りませんが、「くたびれた」という言葉は、本当に疲れたという感じがすると思いませんか。
800枚以上のチラシを配ったが、一体何人の方が聞きに来て下さるのか分かりません。会場は70人くらいがリミットですが、私の予想としては50くらいかなと思っています。今回の議会報告会は地元での開催は初めてですが、会派としては7回目となります。(6回目は、明日23日に川北で行います)
議会の活性化として、議会報告会を始めたのだが、他の会派は全く実施されません。口では、議会報告会をしなければなんて言っておられますが、恐らくされないでしょうね。何でもそうですが、やるまでは心配が先にきますから、とりあえず今はしないとなります。私たちも最初は、「どんな質問があるのか」なんてヒヤヒヤしていたのですが、知らないことは答えられないと開き直りました。
近頃は、それぞれの専門分野も出来てきており、まず無難にこなせるようになってきています。しかし、基本は、知らないことは知りませんということです。知ったかぶりをすると墓穴を掘ります。それから、場の雰囲気を早く察知して、地区にあった話題を提供することも大切です。これは回数を重ねてくると出来るようになってきます。
今日配っている時、「来年ですね」という言葉に、「はあ、宜しくお願いします」って答えましたが、もう1年を切っているのですね。そして、嬉しいことがありました。「林さんですよね」って、先方から言ってくださることです。これまでは、「あんた、誰?」って雰囲気だったのですが、ようやく認知されたようです。
肉体的にはくたびれたけど、精神的には満足度が高かった一日でした。
[ 2008年5月20日(火) ]
私の友人のブログにありました。どうしてこうも面白い話があるのか不思議になることがあります。これはほんの序の口ですが、笑えます。
『高校時代、友人の身内葬儀に参列したとき、前列のほうでオナラが鳴った。笑いたいけれど我慢していたら喪服のおばさんが後ろを向いて「すみません」と頭を下げたのでわたしの我慢は大笑い爆発した。あらためて言うこともないコトもある』
[ 2008年5月13日(火) ]
私も気をつけなければならないのだが、「言葉」の持つ力を知って使わなければならないということだ。別に私が言葉の暴力にあったと言うことではないのだが、ある若者が何気なく言った一言が妙に引っかかる。
今も考えているのだが、恐らく、若者は言葉の本来の意味を知らずに使っているのではないだろうかと。私も日本語を正確に使えるかと言われれば怪しいのだが、ひどくおかしい使い方はしていないだろうと思っている(それほど、自信がないということですが)。昔ハワイに言った時、現地ガイドの日系2世が使う日本語に感心したことがある。それは、日本でも滅多と使わなくなった言い回しの日本語を使われていたからだ。
生活が乱れると言葉も乱れると言うが、全くその通りです。変な言葉使いになった子供を観察していると、友人関係に問題があったりします。それまでの友人とは異なる友人が表れてきています。テレビの影響も無視できません。タレントが訳の分からない言葉を使うと、カッコいいと勘違いするのか、流行言葉になっていったりします。直ぐに短縮したり、英語?にしてしまう癖も見受けられます。
中には、話し言葉が使えない人もいたりします。つまり、会話が成立しないわけです。「何が言いたいんなら」と言いたくなるほど、まどろっこしい人に出会うこともあります。会話が殆どない家庭もあるのではないでしょうか。朝からの会話を思い出してみてください。「おはようございます」すら言っていない人が多いのではありませんか。
私の先輩が「言霊(ことだま)」という言葉を良く使います。彼は私に、「今は、否定するときだ」と言ったり、「今は、うなずくときだ」と言います。「お前は、理解しとらんのう」となるのですが、言葉の裏に隠された意味を理解できない、理解しようとしない自分がいるようです。つまり、言葉を使うには感性がいるということです。
訳の分からないことを書き綴りましたが、言葉には責任(重み)もあるということが言いたかったのです。
[ 2008年5月12日(月) ]
現在(市会議員)の私があるのは、この人がいたからといってもいい程の先輩が脳梗塞で入院されている。私が「議員に立候補しよと思う」と一番に相談したら、「やりんさい」と直ぐに言ってくださいました。彼は人生の師であり、政治の師でもあります。
幸いかな、彼は話すことが出来ます。左半身麻痺は残っていますが、これから懸命なリハビリで復帰を目指されます。私達の悲願であった、「高丸山未開発地区」の里山林整備が軌道に乗ってきた矢先での発症でした。出来ることをさせてくれと、毎日山に上って来られては、雑用全般を引き受けて動き回ってくださっていました。そして、「昔は、ここで遊んだもんです」と、嬉しそうに良く話されていました。
ある朝突然、起きれなくなったのです。直ぐに救急車を呼んで病院に運ばれたのですが、予断を許さない状態が続き、家族の皆さんの心労も相当なものがあったと思われます。幸い、命に別状はなかったのですが、左半身が自由を失いました。しかし、話が出来るのだから、「ありがたいじゃないですか」と私は言いました。私の亡くなった親父は、半身麻痺で話せませんでしたからね。もの言えぬ辛さは、分かっているつもりです。
入院も2ヶ月近くなってきましたので、若干の焦りが出てきているようです。彼の性格を良く知っている私としては、「もう一度、歩きましょう」と言っています。別に根性論で歩けといっているのではないのですが、目標を持って欲しいから言っているのです。実は、彼は非常に物事を熱心に研究するタイプですので、どうしたら歩けるようになるかを自分なりに考えている節があります。
私の禁酒も継続しています。飲みたい気持ちはありますが、今は飲まないことにしようと決めています。酒も煙草を止めても、脳梗塞や脳血栓、心筋梗塞になる可能性はあります。しかし、確立は低くなります。今しか出来ない勉強をしっかりとさせてもらいましょう。
[ 2008年5月10日(土) ]
大掃除と言っても、衣類の入れ替えをするついでに一寸几帳面に掃除をしました。10数年前までは家の2階に私達の部屋があったのですが、階段の上がり降りが億劫になってきたので、裏に建て増しをして1階で生活するようになりました。
1階の収納スペースが少ないので、ついつい2階に物を置いておくことになっていました。今日、整理してみて実は驚きました。皆さんも購入されているであろう、〇ニ〇ロの製品が山とありました。ついつい、あれもこれもと買ってしまった結果ですが、安い割には強いので、タンスの肥やしとなってしまいます。言い訳ですが、ドンドン太ったので、LからXLへとシフトする過程だったんです(今はその逆)。
中2階にロフトを作って、書斎気取りのつもりが、こちらもホコリだらけの物置となっていました。昔は、朝早く起きて本を読んだり、夜遅くまでパソコン通信をしたりしていたのですが、段々と使わなくなっていたのです。しかし、整理しながら昔の写真が出てきたりすると、「若いね」と自分の昔の姿を見ながら感心しきりです。
昔読んでいた相田みつをさんの本が出てきました。森信三さんの本もありました。まるで記憶がないのですが、読んでいたんでしょうね。当時は、掃除の会に出合った頃で、人が良いと言えば手当たり次第に本を読んでいたのではないかと思います。でも大抵、途中投げだったようですが・・・
結局、朝から始めた掃除が終わったのは、午後6時前でした。第一目的だった、衣類の入れ替えはできました。しかし、その他諸々の整理は完全には出来ませんでした。これからは、溜まる前に整理整頓をしましょう。今日一番多く処分したものは、実は、ネクタイでした。
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