― はやし高正が日々の気になる出来事に関することを書いています
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物流問題に思う[ 2025年12月1日(月) ]
ブラックフライデーとかいうセールスのお蔭で物流が滞っている。お掃除道具が届かず既製品を改造して何とか凌げたが、商品の遅れも出ており、物流問題は経済成長のアキレス腱となる可能性を秘めている。
我社みたいな零細企業でも影響が出ているのだから大手はやり繰りが大変だと想像します。アサヒビールやアスクルがサイバー攻撃を受けた影響もあり物流網が麻痺しているのかもしれません。そして、日本郵政問題がやはり影を落としています。全国で何千台という日本郵政の車が止まっているのですから。
これまでヤマト運輸や佐川急便などで荷物は早ければ注文の翌日には届くことが当たり前と思っていたのですが、ひとたび物流網にバグが発生すると想像以上に停滞してきます。それに追い打ちを掛けたのが、冒頭のブラックフライデーです。猫も杓子も、「バーゲン、バーゲン」と呼びこみました。
今回のサイバー攻撃では身代金は支払わず、新たな高度なセキュリティーシステムを構築するそうですが、今更、電話とFAXで対応なんてできませんし、そのやり方を知っている人は化石です。これからはAIが全ての業種で活躍するのでしょうが、過度な依存は社会が止まることを肝に銘じるべきです。
何でもかでも、計画通りにということにはなりません。エアバス社の飛行機のプログラムを修正しなければならなかった原因が太陽であったとは、驚きでした。
勘違い[ 2025年11月30日(日) ]
今朝ふとメールを見ると、「これは間違って送ってきたな」と思える文章がありました。恐らく多くの人に思いついてはメールを送っているのだと思います。
メールは便利ですから私も良く使いますが、つい短文にして送ることが多いので誤解されることもあるみたいです。メールだと、事情を説明せずにいきなり結論を伝える癖があり、相手は、「何のこと」ってなるみたいです。つまり、思い込みでの発信です。今朝の彼も恐らくそうだと思います。
どこかの知事さんが不適切な内容のメールをを複数の人に送り、辞任することになったそうですが、これは勘違いではなく故意ですから仕方ありません。私は友人たちとグループLINEを良く使いますが、個人と違って複数の目で確認できますから、勘違いをすることはまずありませんが、発言は慎重になります。
こうしてブログを書いていますが、過去に大炎上した経験からいうと、事実でないことが独り歩きを始めると鎮火できなくなる怖さがあります。SNSで政治問題や芸能問題などが動き出したら止まりませんので、どこに正解があるのか誰も分からなくなってしまいます。
ですから、出来るだけ会って話し合うことを心がける様にしています。相手の表情を見ながら話さないと本当の反応は分かりません。「歩け歩け運動」と私が表現していましたが、会ってお願いするのが選挙運動の王道だと思います。
掃除に学ぶ会との出会い[ 2025年11月27日(木) ]
以前からブログに何度も登場している、「掃除に学ぶ会」ですが、鍵山秀三郎さんの「日々これ掃除」という本を友人が私にプレゼントしてくれたことが、「掃除に学ぶ会」へと繋がる入り口でした。
30年前の1995年、「日々これ掃除」を読んで、鍵山秀三郎という名前を初めて知りました。1人でコツコツと掃除を始め、縁あって仲間と「庄原掃除に学ぶ会」を立ち上げ、公衆トイレや学校のトイレを掃除をする様になりました。このことが市議会議員に成ろうとした大きな動機のひとつだったのです。
今も「日々これ掃除」を読み返しているのですが、鍵山さんは「トイレ掃除の鍵山」と当時は言われていましたが、私は経営の神様でもあったと思います。どこが神様かは、「日々これ掃除」をお読みいただくことをお勧めしますが、残念ながら絶版となっており、中古本が僅かに流通しています。読む価値は絶対にあります。
公衆トイレは案外すんなりと掃除をすることを許してくれますが、学校のトイレは、「はい、どうぞ」となりませんでした。自分たちでするとか、業者が入っているとか、兎に角、現場を見て欲しくない訳です。粘り強く交渉して何とか掃除をさせて貰うのですが、先生で参加する人は殆どいませんでした。
私はこんなトイレ(大便はすべて和式)では子どもたちが可哀そうだと思いました。お腹が痛くてもトイレに行けない子どもがいても不思議ではありません。市議会議員時代にトイレ問題で一般質問を多くした理由はこんなところにもあります。令和7年度で全ての学校のトイレが洋式化となる予定ですので、20年間の成果かなと思います。
何が議会改革か?[ 2025年11月26日(水) ]
私が議員になった時の議会は、議会として独立しているという風には思えない、「執行機関お抱えの議会」というものでした。議会の議員がバラバラですから、一本釣りで議員は執行者に取り込まれていました。
「議員は何とでもなる」という意識が幹部職員にはあったのではないでしょうか。当時の市長は滝口さんでしたが、ある幹部職員に何でも相談していました。私は滝口さんとは異業種交流Gで一緒でしたし、ある幹部職員は結構親しくしていましたが、2人の関係はいびつでした。
大抵の議員は人参をぶら下げられれば、ポチになります。一番の餌は道路であったと思いますが、市から県、県から国という陳情の構図がありました。ある当時の職員から、「我々の事業計画を邪魔する一番手は議員じゃ」と言われました。議員としてすべきことをせずに選挙運動に精を出していたのです。
市民の代表として、市民目線でと、議員は良く発言しますが、どういう議員活動をすればそうなるのかということが実は理解できていない議員が多いのも事実です。政党を背負っている議員はその政党に有利な政策を推進します。選挙母体があるわですから、いかにも市民の代表であるかに腐心しています。
私の考えた議会改革は、新しい議会を創り出すことでした。議員が変われなければ議会も変わらない。
議会改革[ 2025年11月25日(火) ]
昨日のブログにも書きましたが、議員になってみると、有象無象の世界がそこにはありました。議員に立候補することを決めてからは、議員や議会の仕組みについて勉強していたのですが、呆れることばかりでした。
1市6町が対等合併してできた新庄原市には合併特例により33名の議員が誕生していました。最初の選挙は旧市町で定数を決めて選挙となっていましたので、市会議員と町会議員が混在する議会でした。恐らく、町会議員は合併して町の代表として来ているという自負があり、「負けないぞ」という意識を感じました。
しかし、気負いから議会のルールを無視した脱線があり、議長(谷口琢磨)や事務局はその整理が結構大変だったと思います。本会議場でいきなり、「市長さん」って呼びかけるんですから。そんなことから私は、「議会改革」の必要性を強く感じ、会派結成へと動いたのです。
旧庄原市議会には市長与党的会派が存在していましたが、会派というよりは同好会という趣でした。ですから、私が言うことを中々理解していただけず、昨日書いた通り4名で会派を結成した次第です。議会は議員だけで回せるものではなく議会事務局がエンジンとなる必要がありますが、職員は市長部局採用です。
議会事務局も20年目に比べると議会の事務局らしくなってきましたが、私にはまだまだ不満一杯です。
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