― はやし高正が日々の気になる出来事に関することを書いています
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街頭宣伝活動をアップしました[ 2024年1月15日(月) ]
2024年初めての、地域政党きずな庄原議員団による街頭宣伝活動をアップしました。体調不良により私は参加していませんが、徳永議員、五島議員、國利議員の3名がThe Big 前の交差点から演説していますので、ご覧下さい。地域政党きずな庄原のWindowをクリックして下さい。
しゃんとせんです[ 2024年1月15日(月) ]
昨日は消防出初式に来賓として出席させていただき祝辞を述べましたが、同僚議員から、「迫力がなかった」という意見をいただきました。本人は頑張って話しているつもりですが、何かが足りないのだと思います。
基礎体力が落ちています。未だに完全普通食には戻っていないので、柔らかいものが中心ですから過ぐにお腹が空きます。そろそろ普通食にしても良い感がしているので、今日あたりから徐々に戻していきましょう。これまで調子が良くなったと思って食べ過ぎると翌日は体調が悪くなったりと舵取りが難しいのです。
明日から議会も3月議会を見据えた動きが活発化してきます。先ずは、議会運営委員会が開催されますが、内容が盛沢山です。午後からは市民と語る会 井戸端スタイルがあり、終わると、議員定数と報酬の特別委員会となります。その間に、市民団体から陳情の説明を受けることとなっています。
3月議会は新年度予算案が上程されますので常任の分科会で審査します。限られた財源の中で住民福祉の充実に資する予算を編成することは、新規事業は殆どなく、従来の必要な事業を継続することがやっというのが実態です。政府は経済対策として10万円、10万円と低所得者世帯に給付することばかりを優先しますが、庄原市としての政策誘導はできません。
本当に庄原市内の商工業者が潤ってきているのか、給付を受けた家庭の満足度は上がっているのか、活きたお金となっているのか、甚だ疑問に感じています。政治は富の分配であると教わりましたが、ただ配れば良いというものではありません。経済の好循環を目指すと何十年も言われ続けていますが、お金は使わなければ意味がありません。
岸田政権、四面楚歌状態となっていますが、次を担う総理大臣は今のとこと見つかりません。自民党を抜本的に改革とか言いますが、赤信号みんなで渡れば怖くないを実践していた集団ですから、解散総選挙は怖くてできないのでしょうか。あらゆる組織が制度疲労を起こしているのが間違いないのなら、ぶっ壊すのが一番かも知れませんね。
満69歳となりました[ 2024年1月12日(金) ]
1955年1月12日に生まれた私は、本日、満69歳となりました。年末から年始にかけて胆嚢炎になり回復途中ではありあすが、生かさせていることを実感できた胆嚢炎でした。病気にならないと健康のありがたさが分からないバカ者です。
これからは1年1年が勝負の年になるんだと自分に言い聞かせています。議員の残り任期も約15カ月となりましたので、議員としても総仕上げの年となります。やることが沢山ありますが、所信表明で述べたことは実現できる様に議会として取り組んでいきます。できないをできるにというキャッチコピーではありませんが、1年間でやります。
お隣の三次市議会は4月に改選期を迎えます。私の同級生の宍戸君が6期目への挑戦を表明しました。君田の森の泉が経営破綻したことで、宍戸に対する逆風も吹き荒れましたが、君田の財産である森の泉の再建を彼に託す格好になりました。いわば、火中の栗を拾うということだと私は理解していますが、かなり厳しい選択であることは間違いありません。
書きながら改めて強く思うことは、健康が一番ということです。私も胆嚢炎になったことでこんなブログを書いているのですから、正に気づかせれた訳です。しかし、年齢を重ねると出来ていたことができなくなったり、時間がかかったりするようになります。これからは知恵を働かす年代を迎えるのかも知れません。
自分で「やる」ではなく、仲間に手伝って貰う、そんな年代にもなってきているように感じます。
何とか生き返る[ 2024年1月10日(水) ]
人間の神秘というか、治癒力というか、自分の身体が自分でコントロールできないことを実感した10日間でした。その10日間をもう一度、振り返ってみたいと思います。
私の1月3日のブログを読まれている方なら、復帰できたのかと思われたかと思いますが、実はそう簡単には回復していなかったのです。31日からの激痛からは解放されましたが、お腹の中に何かいるという雰囲気は感じていました。丁度、5日が庄原赤十字病院の定期診療だったのですが、主治医の先生がCTを撮ってみましょうとなりました。
お腹の中に何かいると感じるものの正体が分かりました。それは胆嚢炎でした。胆嚢は肝臓とも密接な関係ですから、肝臓の数字も上がっていました。今後の治療法について先生と相談した結果は、取り敢えず抗生物質で炎症を抑えてみる。食生活は入院と同等とするというもので、食事はお粥か素うどん、飲み物はお茶かお水を大量に摂取するという内容です。
ですから、5日に病院から帰ったら、家庭内入院となりました。ただひたすら寝るだけの毎日です。残っていたお腹の痛みが徐々に消えていきましたが、動くことがしんどくて、精神的にも落ち込んでいきます。そして昨日の再検査で、数値はまだ正常値とはなっていないが回復していっているとの見立てでした。
1月4日の商工会議所の新年互礼会には出席して乾杯の発声をさせていただきましたが、この時は気力でやらせていただいたのです。ですから、直ぐに会場を後にしました。私には糖尿病等の基礎疾患がありまので服薬しなければならなかったのですが、2日間程は飲んでいませんでした。そのことによる体調不良もでたりして、自然治癒力とのせめぎあいだったの?
とんだ年末年始となりましたが、1月中は慎重に生活することとします。当然ながらお酒は一滴もいただいたいません。奥さんが、「1年くらいは止めときなさい」と言っていますが、今は全く飲む気にもなりません。2月2日にMRI検査を受け、問題なければ完治ということになります。苦しかったですが、生かさせているを実感しました。
あの激痛の時に緊急外来に行っていたら、「たら」ですが、即、入院となり多くの皆さんにご迷惑をお掛けしたことでしょう。明日から様子をみながら活動を再開することとしていますので、宜しくお願いします。基礎体力が相当に落ちていますので、早退することもあるかも知れませんが、お許し下さい。
明けましておめでとうございます[ 2024年1月3日(水) ]
私は年末年始にかけて死にかけていました。連続した忘年会の影響もあったのでしょうが、31日の夕食をいただいた後くらいからお腹が痛くなり始めました。過去の経験から、胃潰瘍を疑いましたが、血便は出ないので兎に角、寝ることにしましたが、お腹の痛みは段々と増していきました。
いつも飲んでいる市販の胃薬を飲んで様子もみるものの、腹の痛みは一向によくなりません。そんなこんなで、31日と1日は我慢に我慢を重ねて胃薬を飲んでは寝ていました。2日の昨日は何とか起き上がることができましたので、庄原赤十字病院の緊急外来に行きました。丁度、当直の先生が私の循環器科の先生だったので理解は早かった様に感じました。
一応、レントゲン撮影をしてお腹をみてもそれほど変わったことは無いそうなので、痛み止めをもらっって、定期診療日の5日に内科医の先生と協議することにして帰りました。昨日の午後まで絶食でしたので体重が2㌔ほど落ちました。年齢も考えずに焼肉を食べたりしたことで胃や腸が拒絶反応を起こしたのかも知れません。
今朝からほぼ普段通りの朝食をいただく様になりましたが、刺激物は一切取っていません。公務のない年末年始だったので皆様にご迷惑をお掛けすることはありませんでしたが、暫くの間、禁酒となります。5日には各種検査を受けて原因を特定して貰います。お宮参りにも行くことなく、ただただ痛みをこらえて寝ていた私です。
福井から能登半島、新潟を襲った地震と津波ですが、多くの死傷者も出ています。天災とはいえ、言葉がありません。暴飲暴食でのた打ち回っていた私は恥ずかしい限りです。議会としての対応についてLINEで協議を始めていますが、政府からの基本線が示されていないので、今は待ちの状態です。正にお正月でしたからね。
ということで、相変わらずの情けない、はやし高正のお正月でした。
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