― はやし高正が日々の気になる出来事に関することを書いています
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麻生内閣誕生[ 2025年10月9日(木) ]
公明党の政権からの離脱が現実味を帯びてきました。羽生田さんが幹事長代行として入りましたが、8月に政策秘書が政治資金規正法違反で略式起訴されており、公明党は裏金議員の再登板に困惑している模様です。
そもそも、高市総裁が選出されたことは、麻生さんが仕組んだ結果だと思いました。幹事長に義理の弟の鈴木さんで、当の本人は副総裁に就任ですから、実質的には麻生兄弟で仕切ることになるのだと思います。岸田政権では会見場からそそくさと出る姿が放映されましたが、今回は終始ご満悦でしたね。
本当に公明党が離脱となれば、野党が一本化で舵を切れば、高市総理大臣の目は消えます。国民民主党が自民党と組めば連合は推薦しないと芳野会長は明言していますので、麻生さんの裏工作も不発に終わるかもです。玉木総理大臣という人参を立憲民主はぶら下げましたが、食べますかね?
高市さんが総裁に就任した途端に円安となり株価は急上昇となりましたが、それにつれて物価も急上昇となってきています。積極的財政出動と言っていますが、物価高対策によりより物価高になるのではと言われています。韓国は日本よりも一足早く物価高によるインフレ傾向となっていますが、日本も同じ道を歩むのでしょうか。
先ずは、公明党が政権離脱するかが焦点となります。更には、野党が結集できるかですね。本当に国民のことを考えるなら、大連立でこの難局を乗り切ることも考えるべきです。自公政権は賞味期限が切れてしまっています。
古希修学旅行[ 2025年10月8日(水) ]
今月26日27日の1泊2日で、高校の同級生11名で「古希修学旅行」に行きます。メインの訪問先は、高梁市にある備中松山城で、早朝の雲海を見てから城に登る予定です。
今回の移動手段は全てJRです。広島組は広島駅発三次ライナーで三次まで来ます。そして三次発の芸備線で備後落合で乗換て新見駅まで行き伯備線で備中高梁駅着となります。高梁では美味しい千屋牛の焼肉で宴会ですが、翌朝が早いのでほどほどにしてホテルに帰る予定です。
27日は備中松山城を堪能し、市内で昼食を取り特急やくもに乗車して岡山駅へと向かいます。岡山駅からは新幹線で広島駅経由で芸備線三次ライナーで三次駅に到着して解散となります。今回の修学旅行で一番苦労したのが、乗車券の購入です。特急やくもは乗車券と指定席券がセットでないと買えないのです。
結論からいうと、ネット上のJRおでかけネットのe5489で全ての乗車券を購入しましたが、乗車券は三次駅にある発券機で発券となります。今回の気づきですが、芸備線を利用して備中高梁駅に行こうとすると、大変難しいことが分かりました。決して行けない訳ではありませんが、接続に難ありです。
ですから、帰路は新幹線を利用することにしました。古希修学旅行ですが、次の77歳もやりたいと皆さん言っていますが、お城に登るプランは却下されるでしょう。
尾道に行って来ました[ 2025年10月7日(火) ]
ときどき写真日記に私たちと一緒に写っている韓国の孫とお母さん(娘)が日本にやってきました。かなり前のことですが、私たちが家族旅行でソウルに行った時、通訳をしてくれた子(当時大学生)との交流が今も続いています。
彼女(ジンスク)は日本で働いていたことがありますし、息子(ユビン)も東京の小学校に通っていたことがありますので、私たちとの会話は日本語です。ユビンが高校を卒業したら軍隊に行くことになるので、もう一度日本に行ってみようとなったのだそうです。韓国は徴兵制があり、今は1年半の兵役義務があります。
韓国人の訪日目的地として、尾道の千光寺がかなり高い人気だそうです。昨日はケーブルカーで山頂の展望台まで行ったのですが、その殆どが中国と韓国の団体旅行者でした。彼らは展望台に上ったら次に千光寺に降りて行き、写真を撮っていました。千光寺からのインスタ等が韓国では大人気なんだそうです。
それと韓国の鉄道には踏切が殆どない(ソウルは地下鉄が多い)ので、山陽線の列車が踏切を通過するところを録画してYouTubeにアップするのが流行っているのだそうです。それも決まった場所(アーケード街のある地点)からでないとダメなんだとか。私は理解できない。
そして、必ず、尾道ラーメンを食べるのだそうです。それも元祖尾道ラーメン店でないとダメなんだとか。ときどき写真日記に写っているお店がそうです。先ほど、親子は広島市内に向けて高速バスで出発しました。今日と明日は広島観光だそうです。次は私たちがソウルに行くと思います。
鍵山秀三郎さん Part 2[ 2025年10月4日(土) ]
昨日のブログの続きです。中国掃除に学ぶ会で中国各地を訪問しましたが、まず、その経緯からお話しましょう。広島に私の師匠である井辻栄輔氏がいらっしゃいます。餃子の皮の井辻食産の現在は快調です。
井辻さんとは最初はパソコンで繋がりました。そして鍵山秀三郎さんと繋がる掃除に学ぶ会も今は亡き、中村さんが繋げてくれたのです。彼は比和町出身でリコーのセールスマンでした。ご縁は不思議で、西田先輩の奥様は井辻食産で働かれていたのです。こうやってドンドン色々な人たちと繋がっていきました。
井辻さんは中国人留学生の身元引受人をされており、引き受ける条件は、「毎月1回の掃除に学ぶ会に参加すること」だったのです。そんな中国人留学生とのご縁から彼らの出身大学に掃除に行くことなり、その第1回目が北京の科技大学でした。後にこの科技大学でオリンピックのレスリングが行われました。
鍵山秀三郎さんとは2回目の中国の時が最初だったのではないかと思います。その時は鍵山さんの奥さん、井辻さんの奥さん、私の家内も一緒でした。それから何度かご一緒するのですが、朝のトイレ掃除が終わってホテルに帰り、レストランでビールを飲みながら鍵山さんと時間が許す限り懇談していました。
そのころの鍵山さんは、「お掃除の神さま」という存在でしたから、講演会も各地で開催されていました。講演会では、凡事徹底、良樹細根、分度推譲、一念一行など冊子に纏められた話題が殆どですが、私たちとの懇談では、人間、鍵山秀三郎の飾らない人生を語って下さいました。
鍵山秀三郎さん[ 2025年10月3日(金) ]
今年1月2日に91歳で亡くなられたイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、私の人生に強い影響を与えて下さった方です。私の人生の正に転換点となった著書、「日々これ掃除」を読み返しています。
異業種Gの先輩が、「林、この本(日々これ掃除)を読んでみなさい」と1冊の本を私に渡されました。株式会社ローヤル社長 鍵山秀三郎と表紙書かれていました。当時の社名は株式会社ローヤルでしたが、店舗の名称はイエローハットで、その後、社名もイエローハットに統一されました。
今から30年くらい前のことですが、その本を読んでから1人で車を洗ったり、会社のトイレの掃除を始めました。最初は毎日ではなかったのですが、会社の車両事故が続いたので、「毎日、洗車します」と宣言して全員で毎日洗車することにしました。結果として、今では車両事故は皆無となっています。
トイレ掃除は、基本私は毎日トイレを掃除していますが、働きさんは交代で週に1回、トイレ掃除をしています。鍵山さんはトイレ掃除が有名ですが、実は会社経営においても「気づき」を基本とされており、掃除はその入り口に当たります。毎日同じトイレを掃除しながら、毎日違う「気づき」があるのです。
そのことが仕事に生きており、結果として上場企業にまでなられました。私は何度か山口にある物流センターに行かせていただきましたが、終業時には机の文具類などは全て収納され何もなくなります。その文具類も必要最低限のものしかありません。車もキレイに並べられており、まるで中古車センターです。
私は鍵山さんと何度も中国にご一緒して彼の哲学を学ばせていただきましたので、次回のブログはその辺りを書かせていただきます。
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