同窓会を開催します

[ 2025年5月27日(火) ]

8月9日に高等学校時代の同窓会を開催することになっています。つまり、古希を祝おうという名目の飲み会です。10年前の還暦には宮島に一泊して厳島神社にお参りしましたが、そこまでの元気はありません。

80歳の傘寿で同窓会とは中々考えにくいので、今回が人数を集める最後の同窓会となりそうです。そのためか、6月末が申し込みの締め切りですが、39名が既にエントリーしています。同期の卒業生は387名いましたが、広島県内に残っているのは何名でしょう。今回は、広島市内在住者と県北在住者が中心で集まります。

それでも東京からという同級生もいます。恩師の先生が1名参加表明されていますが、その先生に会いたいという人もいたりします。俳優の山本美月さんのお爺さんは我々の地学の先生でした。恩師の先生も相当数亡くなられていますが、我々と歳が近かった先生は今でも交流があります。

今回参加されるかどうか分かりませんが、吉田拓郎と皆実高校で同級生だったN先生(広大首席)は現国でした。当時の生徒はボロボロですが、先生は優秀でしたね。私のブログを読んでいる同級生の皆さん、8月9日午後12時から三次グランドホテルで昭和48年卒の同窓会を開催します。参加希望者は私に連絡下さい。090-8997-2881

漆は大変だと分かる

[ 2025年5月26日(月) ]

NPO丹波漆に視察研修に行くことは昨日のブログに書きましたが、漆掻きに関しての認識が誤っていることに気づきました。皆さんはご存知ないでしょうが、「養生掻き」と「殺し掻き」があるのですが・・・・。

漆は樹液が採取できるまでに10年以上かかることは何度も書いているのでご理解頂けている思いますが、問題は、漆液を採取する現在の主流は、「殺し掻き」という樹齢に達した漆の木から漆液を半年間で目一杯採取し、伐り倒すのだそうです。私は勝手に「養生掻き」でやるものだと思い込んでいました。

ということで、漆の木を伐り倒すと自然萌芽(切り株から新たな芽が出て)により10年後には次の漆が採れる様になるのです。ですから、1年間で100本の漆を掻くとすると10年周期では1000本の漆の木が必要となります。1000本の漆の木を苗木から育てるには活着率50%とすると、2000本の苗木を植える必要があります。

私たちは大変なことを思いついて実行しているのかと自分たちで呆れています。戦略を練り直す必要を昨日は痛切に感じました。半年間は漆に関する作業が発生しますが、冬場には作業はありません。しかし、農業と時期が重複するので忙しさが倍になるだけです。

昨日も丹波漆の人と話したのですが、国産漆を文化財の修復に使いなさいと指導するのであれば、国産漆奨励策を示すべきです。漆の木を植えて育てる人たちに何らかの保証を与えるべきです。植えても4年目で突然に枯れるとか、シカに樹皮を食べられて枯れるとか、あまりにもリスクが大きい事業であることも分かってきました。

しかし、私たちはやり続けます。漆の郷を目指して続けていきます。ご期待下さい。

NPO法人丹波漆に行きます

[ 2025年5月23日(金) ]

仲間と協議して、「漆を植えよう」となったのですが、最終的には福知山市にあるNPO法人丹波漆を視察に行って決断しました。その理由は、色々と調べてみて(漆の実例は少ない)丹波漆が一番しっかりしていたからです。

理事長の高橋さんは最初は漆の職人さんだったのかな?香川県の漆の学校を卒業して夜久野の漆の学芸員的なお仕事をされていたみたいです。そんな彼女が肝心の漆液が日本では殆ど採取できないことから、漆を植えることになっていったみたいです。そんな時に私たちが訪ねて行ったのです。

具体的内容は彼らのことを紹介したページがありますので、←クリックして読んでみて下さい。私たちは彼らの漆に対する情熱に感動して、「よし、漆を植えるぞ」って今があります。しかし、我々は試行錯誤の連続で、本当に漆の木は成長するのだろうかと疑心暗鬼になったりもします。仲間がいるから続けられるのですが。

そこで、我々がやっていることが正解かどうかは分かりませんが、先生役の丹波漆さんに再度、勉強に行くことにしました。忙しい中、時間を割いていただき対応いただけるとのことで、25日に日帰りで行って来ます。今回は仲間6名で伺い、時間も勿体ないので、一緒に昼の弁当を食べながらお話をお聞きすることにしています。

山に苗木を移植するとほぼ同じ様に苗木は成長していきますが、漆の場合、本当にバラバラです。同じ圃場に植えていても、水分の関係か、養分の関係か分かりませんが、均一には成長しないのです。昨年から県立大学の先生にアドバイスを頂きながらやっていますが、先生も漆は初めてとのことで、データ収集中です。

漆液が採れるまでには12~15年と言われておりますが、漆の郷を目指して夢を語りながら作業をしています。これからのシーズンは草刈です。

 

傍聴に行きました

[ 2025年5月22日(木) ]

八谷恭介後援会の役員さんたちと臨時議会の傍聴に行きました。副市長候補の選任同意案が八谷市長より提案され、1名の議員が反対しましたが、賛成多数で木村洋氏が副市長となりました。

本日の臨時議会はYouTube録画で配信されていますので、色違い部分をクリックしていただければご覧になれます。議会終了後、市長が外で我々を待ってくれていたのですが、「皆さんが傍聴に来られていたので、滅茶苦茶緊張しました」と言って笑いを誘っていました。いよいよ明日から木村副市長が登庁します。

私が傍聴席にいると多くの議員から声を掛けられました。「楽になったろう」とか「今度一緒に飲もう」とか。ところで、議席の並びを見て本当に新人議員が半数近くを占めていることを実感しました。会派に所属している議員は会派で並んでいますが、Next以外は未だに理解できません。

これからも出来るだけ議会傍聴に行こうと考えています。例の通信簿も考えなければと思っていますし、風通しの良い庄原市役所になっていく過程も楽しみです。

これから三次に行きます

[ 2025年5月21日(水) ]

前々から約束していた「火鍋」を食べに仲間と三次のとあるお店に行きます。話せば長くなりますが、中国に行くと必ず辛い火鍋を食べに行きます。どうした具合か、年に何度か、無性に火鍋が食べたくなるのです。

食べたくなると、ネットで食材を注文して火鍋パーティーをするのですが、当分の間、独特の臭いが部屋に残ますので、奥さんから、「部屋では火鍋はしないでね」と言われています。焼肉とは全く異なる臭いで、中国の臭いとでもいいますか、日本には無い臭いです。香辛料が強烈ですからね。

昔は、「二度おいしい効果」とか言いながら辛いものを食べていましたが、胆嚢炎になり胆嚢を摘出してからは自重していました。ですから今日はあまり辛くない火鍋にします。ご存知の方もあろうかと思いますが、鍋に仕切りがあり、辛いのと普通のと半々となっています。混ざらないのかと思われるでしょうが、不思議と混ざらない。

広島に美味しい激辛冷麺のお店があり私の師匠と良く行っていたのですが、ご主人が亡くなられ廃業されました。他の場所にも激辛冷麺の看板を出したお店はありますが、別物です。このお店では数々の逸話が残されています。お店は「お残し禁止」だったので、若い女の子は泣きながら食べて外で吐いていました。

親父の顔は最強強面で、注文せずに立っていると、「注文しないなら帰れ。他の人の邪魔になる」ですからね。私も師匠(大の常連)と一緒だから食べれていたけど、一人では怖くて行けなかったと思います。でも、今日のお店は優しいお店ですから、大声をだしても怒られません。