― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
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[ 2024年9月3日(火) ]
今日から分科会での決算審査が始まりました。私は所属がありませんので午前中は企画建設分科会を傍聴させていただきました。審査は下水道課と都市整備課でしたが、許可を得れば発言できないことはありませんが、皆さんの手前もありますから聞けません。
細かな内容については割愛させていただきますが、快適な暮らしをするにはコストがかかります。庄原市の場合、公共下水道も個人の合併処理浄化槽も維持管理費は同額に設定されています。管路で下水道整備を目指していた時期もありましたが、広大な市域ですので、合併処理浄化槽は確実に増加していっています。
トイレ等の水洗化をお考えの皆さんは下水道課へお問合せ下さい。市として予算化していますので、申込多数の場合は翌年になることもあります。その他、工務店や水道事業者との連携も必要となります。都市整備課が所管する市民住宅等の議論もありましたが、課題は予算の確保です。
午後からは教育総務課と生涯学習課の審査を傍聴しました。毎回議論になるのが、町史、市史の在庫をどうするかです。まだまだ相当な冊数が積みあがっていますが、販売は殆どありません。かつてはふるさと納税でプレゼントしたこともありますが、今更ですね。あるのは、歴史的価値?だけ?
今年で20回目の決算審査ですが、過去の話をしても仕方ありませんが、昔の議員さんは重箱の隅を楊枝でほじくる様な審査をされていました。「そんなことまで聞くの」と思っていましたが、昨日も書きましたが血税を使って事業をしているのですから、当たり前のことです。今は、随分と物分かりの良い議員ばかりになっていますね。
決算審査をこれからの予算に活かす意味からも執行者が唸るような審査をすべきで、効果が期待できないものは縮小、廃止も視野に入れて議論すべきです。大きな財布も小さな財布も、中身は血税です。
[ 2024年9月2日(月) ]
令和6年第5回庄原市議会定例会が今日から始まりました。久々の議会で緊張していたのかも知れませんが、読み原稿を噛みまくって、「林さん、今日は疲れているのですか」と同僚議員から聞かれる始末でした。
普段がよほど流暢なのかもしれませんが、何人もの議員から同じことを言われたので、逆に緊張してしまいました。確かに昨日は大竹市の市制施行70周年記念式典に出席し、帰ってから除草剤をかなりの面積散布したことで疲労が蓄積されていたみたいです。と書きましたが、緊張感が足りなかっただけです。
9月議会は決算議会ですので、明日から3日間、分科会に分かれて各課の決算審査を行います。私は所属がありませんが、審査の邪魔をしない程度に各分科会を回りたいと考えています。議員になりたての頃には何を聞けばいいのか分からず、先輩議員の質問を聞いては勉強していたことを思い出します。
先輩議員は過去の流れから理解されており、改善されていないことを的確に指摘されます。我々は税金を活用して事業を行っているのですから、「まあええか」は絶対に許されません。滅多とないことですが、同じような事業を看板を掛け変えてやっていることがあります。こんな事業は要注意であり、廃止すべきです。
今日の議会での私の仕掛け。「早う、選挙運動しんさいや」と誰彼となく言いまくった。
[ 2024年8月30日(金) ]
昨日は来年4月の庄原市議会議員選挙に出ようかなという2名の方とお会いしてお話させていただきました。恐らく2名とも立候補されると思いますが、これからまだまだ立候補したいという人が出てくる気配です。
2名とも、私がでなさと言うから出るのではありません。私のブログが影響を与えたとも思えません。聞けば、長年考えていたそうで、満を持してということの様です。拍手を送りたいですね。私が立候補した時は50歳でした。私も誰かに言われたから出たのではありません。そういう時期がきたのです。
彼らというか、決意した人に共通していることは、現在の市議会議員に誰がいるか等、殆ど知らないというか、興味がないことです。正に、「志のみ持参」という雰囲気です。これから外野が聞きつけてきて、「ああでもない、こうでもない」と知ったかぶりのさいたらを始めるのでしょうが、これが邪魔です。
選挙直前に思いついて立候補では、ええことにはならないと思いますので、そろそろ水面下で動き始める時期ともいえます。そして、各地の「ふるさと祭り」の頃には、現職・新人が右往左往するでしょう。そんな顔見世興行が終わると、「歩け歩け運動」が一気に加速していきます。
悩んでいるあなた!悩み過ぎてタイミングを逸してしまうと終わります。もう次はありません。今でしょ!
[ 2024年8月29日(木) ]
今回の台風はのらりくらり台風で、日本全国が影響を受けている。予定通りいかないのは世の常ではあるが、地球温暖化の影響から、全てにおいて予測不能な台風が発生することが多くなっている様に思う。
災害が起きてからでは遅いので事前に手を打っているのは理解できるが、それさえも予想を超えた動きの台風であれば翻弄されっぱなしである。それにしても各地で災害が発生しているが、どうにもできないことに腹が立つ。割となだらかな裏山が崩落するという想定は中々できないことだ。
頑丈な建物に避難して下さいとアナウンスがあるが、どう対処すればよいのか分からない。垂直避難も理解はできるが、高齢者を連れて非難することは非常に無理がある。言えば切りがないが、家の中にシェルター的なものが必要な時代が来ているのかもしれない。そういった部屋が完備された住宅販売も始まるかも?
では我々市民が準備すべきことは何か?準備するのではなく、避難所に避難するのがベターなのか?この線引きが難しい。「だから早めに避難して下さい」と言っていたでしょと言われてもね・・・。書いていることは台風がメインですが、大型地震が起きれば、何もかも吹っ飛びます。
どれほど備えようが、大自然には叶わないということです。情けないですが、これが現実です。石破さん、防災省で国民を本当に守れますか?石破さん、国民を守る自信があるならあなたを熱烈支持しましょう。
[ 2024年8月28日(水) ]
昨夜の「市民と語る会」のテーマの中に「少子化による地域の子供会活動の減少への支援」がありました。庄原自治振興区には33の子供会があるそうですが、13の子供会は現在、活動していないそうです。
それぞれ事情を抱えての子供会ということは理解できますが、私は皆さんの意見を聴きながら、「私の認識とかなりかけ離れている」と感じたところです。私が育った地域の子供会活動と他地域の子供会活動を比較したことがなかったのですが、私たちの子供会は自主性を重んじる、大人の支配を受けない子供会だった様に思います。
そもそも、板橋東には今の敷信自治振興センター前の駐車場に公民会がありました。木造二階建てで結構古かったと記憶していますが、割と自由に使っていました。子供会の例会があったのかも忘れましたが、年間行事予定を立て、それに沿って活動していました。誕生会やクリスマスパーティーなどもやっていましたね。
大人たちは滅多と現れず、多額な予算を伴う日帰り旅行などの話し合いの時には大人の役員も来ていました。廃品回収も自分たちで企画して集め、業者に販売していました。お金は勿論、活動費に積み立てです。確か、中学生になったOB会員が来て、小学生の指導的役割をしていたことを、今、思い出しました。
そんな子供会がいつから何もしない子供会になったのかは分かりませんが、廃品回収の回覧に、「瓶ビールのケースがあれば下さい」には呆れたことがあります。恐らく、廃品回収で活動資金を確保することとなり、大人の仕事になっていったと想像されます。それと段々と豊かな社会へと変わっていった(高度経済成長)時代でもあったと思います。
現代の豊かな時代の子供会活動とはどういうものかという議論を先ずはすべきであり、過去の子供会活動はあまり参考とはならないと思います。子供の人権ということを考えれば、自分たちのことは自分たちで考えるのがベターです。親はあくまでも傍観者であり、主役になってはいけません。
長くなったのでこの辺で終わりますが、長年、小中高の学習塾をやっていましたのでまんざら子供会活動部外者とは言えないと思っていますので、チャンスがあれば意見交換してみましょう。
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