― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
« 前のページ | | | 次のページ » |
[ 2024年5月1日(水) ]
世の中は大型連休でお休みの方も多いかと思いますが、私はカレンダー通りです。今朝、いつも通り日めくりをめくっていると、「5月」であることに気づきました。昨日まで4月だったんですね。
昨夜のカープは残念でした。床田投手も調子の悪い時もありますから仕方ありませんが、私は新井監督の表情が気になります。対照的に阪神の岡田監督のあのにやけ顔を見ると、余裕があるなと感じます。大リーグでは相変わらず大谷フィーバーで盛り上がっていますが、あの通訳事件はどうなったのでしょう。
昔の連休は百姓でした。目の前の県道をゴルフ(我家の向かいは庄原カントリークラブ)に行く車を見ながら、「ワシらは百姓じゃ」って愚痴っていましたが、営農集団で飼料稲となりましたので連休は連休になりました。どこかに出掛けてみたい気持ちもありますが、横田の蔵市に豆腐を買いに行けば行くくらいですかね。
以前のブログにも書いていますが、蔵市で売っている「俺の自信作」という豆腐が私は大好きで時々買いに行っています。私の残された夢に、豆腐を作ることがあります。醤油も作ってみたいですね。我家では昔々、豆腐も味噌も醤油も自家製でした。当時の味が忘れられないというか、脳裏に焼き付いています。
私が思うのは、豆腐を作って販売することです。やたらめったら大豆の味がする豆腐ではない豆腐を食べたいのです。人に言えば、「それが本当の豆腐なの」ってなるかも知れませんが、私の豆腐の原点なんです。
[ 2024年4月29日(月) ]
勢いでPart3を書かせてもらいますが、本当に色々な学生がいました。個人名を出すと差し障りがあるので書けませんが、我が息子の様に可愛がっていたKの思い出は最高です。名前を言えば誰もが、「なるほど」と頷きます。
何が最高かというと、これほど純真な男を見たことがないという程の真っすぐな男です。何があっても人を疑わない。全ては自分に責任があるというタイプです。そして、本当に不器用な男です。ある女性を好きになったのですが、愛情表現の仕方が分からないので、「好きです」の一点張りですから、見事に散って寝込みました。
警察から「来てください」と連絡がありました。ある女子学生がバイクで事故を起こしたそうで、保護者はと聞くと、「林さんに連絡して下さい」と。原付免許を取って初めてバイクに乗っていた時、初めての交差点で転倒したのです。曲がれなかったのだそうです。警察官も困ったのでしょうね。今では考えられない事故とも呼べない事故が多発しました。
一番多かったのは、バイクで勝手に転げる事故でした。ということから、本田安全運転普及本部にお願いに行って三日市教習所を無償で借りて原付バイクの安全運転講習会をBBSで開催しました。何を徹底的に指導してもらったか?転ばない急ブレーキのかけ方です。その時の教官は白バイ隊の警察官でしたので、それは見事なテクニックでした。
保護観察の子どもたちと呉でキャンプしたこともあります。東城の小奴可でもキャンプしました。暴走族の子どもたちとサツマイモを植えたことも、落書きを消したこともありました。聞けば近頃はそんな活動もないそうです。時代の流れなんでしょうね。
[ 2024年4月29日(月) ]
県立大学庄原キャンパスにBBSが出来たところまでお話しましたが、入部してきた学生が皆、濃かった。何もない山の中に開学した歴史ゼロの大学にやってくる学生は変わっていたが、開学当時の学生はどういう訳か仲が良かった。
ということは、変人の集まりとでもいうか、私と非常に波長があう学生たちがBBSの部員となったのである。今でも当時の学生たちとは親交があるのですが、皆さん立派な親御さんとなり孫がいる人も人もいるのではと想像します。中には、自分の学生時代を棚に上げて、「子どものことで相談があります」なんて言う元学生もいたりします。
当初の活動は、保護観察所の方においていただき、各種制度について学習したり、他の大学学内BBS会員と一緒に勉強会を開いたりしていましたが、顧問の先生の助言もあり、「不登校児の支援(学習を含め)」活動を展開する様になっていきました。そして、日本BBS連盟が認めた活動となり全国展開されていったのです。
県北部では保護観察処分の青少年は少なく関りが持てないので、広島少年院や少女苑を定期的に訪問し、バレーボールや意見交換を通して矯正の難しさも学習していましたが、表現は難しいのですが、院生には人気の訪問団だったみたいです。再犯の問題はつきまといますが、社会問題とする前に、犯罪の無い社会とする必要があります。
自己研鑽活動も大切ですが、時には息抜きも必要です。我社の倉庫で、夏にはBBQ、冬には闇鍋等をやりましたが、家内やお袋が先生役で、包丁の使い方やお結びの握り方などを教えていました。恐らく、私のブログを読んでいる卒業生もいると思いまが、仲間を誘ってBBS同窓会を開きましょう。久しぶりに庄原キャンパスに集まりましょう!
取りあえず、メール下さい。QYC04464@nifty.com アドレスはずっと変わっていません。
[ 2024年4月29日(月) ]
一昨日から県内某所で、表題のBBSという組織のOB会を開いていました。どうして私がその広島県代表として参加したのかという顛末を、少し長くなりますが、数回に分けて書かせていただますので、お付き合い下さい。
広島県立大学庄原キャンパスが開学した平成元年、地域の保護司さんたちの要請で、BBSという組織(←クリック)を学内に立ち上げました。日本語にすると、「お兄さんお姉さん」となりますが、当初は苦労の連続でした。
そもそも、保護司さんって聞くと、聞いたことはあるけど何をする人か分からないというのが正直なところだと思います。私が説明するのも難しいので「保護司」←検索してみて下さい。その保護司さんたちと協力して犯罪を犯した保護観察の青少年たちの更生のお手伝いをするボランティア団体がBBSという組織です。
知り合いの保護司さんから、「保護観察の子どもと我々保護司では年齢が離れすぎており、中々思うように会話ができないので、出来たら大学の中にBBSという組織を作れないだろうか」と相談を受けたのが始まりでした。実は、この保護司さんの息子のお嫁さんが学生時代に広島市内でBBS活動をしていたことが、ことの発端だったのです。
当時のドタバタを書くと長くなるので、割愛させていただき、庄原キャンパスにBBSが出来たところからお話しましょう。先ず私が実行したことは、会社に大学生のアルバイトを2名入れ、ミッションは、「学内にBBSを作る」でした。この2名の学生が良かった!何と、学内に保護観察所に出入りされていた先生の存在を見つけ出したのです。
そこからはとんとん拍子です。その先生にはBBSの顧問に就任していただき、学内にBBSの部室はいただき、更に部としての活動費も支給されるという、夢の様な船出となりました。
[ 2024年4月25日(木) ]
先ほどまで、表題のの特別委員会が開催されていました。私も昨年4月から議長に就任したことで、オブザーバーとして参加していました。副議長も私と同様にオブザーバー参加でしたが、2人とも議決権はありません。
いきなり議決権を書いたには、今日の特別委員会で委員会としての、議員定数と議員報酬について決定することになっていたからです。委員会は7名で構成されており、委員長は政野委員、副委員長は桂藤委員、他の委員は、堀井、藤木、松本、福山、國利となっています。どの委員も緊張気味であった様ですが、それぞれの思いを述べ、本論へと入っていきました。
先ず、議員定数について採決(委員長を除く)しました。提案は20名と19名でしたが(18名案は賛同者無し)、20名に賛成の委員は、福山、國利、藤木の3名。19名に賛成は、堀井、松本、桂藤の3名となり、委員長裁定により、19名と決しました。次に議員報酬ですが、こちらは結構揉めました。こちらも参考人の皆さんに3案提示していました。
①40.3万円②38.9万円③37.3万円の3案ですが、報酬審議会に諮るのに額を提示するのは如何かという議論になり、参考資料に議論の経過を入れることで決着し、議長から市長に特別委員会の報告書を手渡す際には、「報酬は増額すべき」との意見が大勢を占めており配慮願いたいと口頭で伝えなさいとなりました。私はオブザーバーですからね。
こらからの流れを大まかに説明すると、今月中に一定の特別委員会報告書を纏め、5月中に開催する議員全員協議会で全議員に報告します。そして、6月議会で正式に委員長報告を行い、議員定数を減らす条例改正を発議することとなります。市長に対する報告は状況をみながら早い段階で行うつもりです。市長の諮問により報酬審議会は設置されます。
これは参考にはなりませんが、こんなスタイルで報酬審議会が答申するということをご理解いただきたく、愛知県豊田市の答申を貼り付けせていただきますので、ご覧下さい。
« 前のページ | | | 次のページ » |