夜間タクシーが無くなって・・・

[ 2024年8月3日(土) ]

昨日のブログの続きです。昨日はタクシー事業者への聞き取り調査の内容でしたが、本日は、困っているであろう各種団体への聞き取り調査について個人的考察を加えながら書かせていただきます。

先ずは、庄原消防署に行き、「夜間タクシーが無くなったけど、救急車がタクシー代わりに使われていることはありますか」と投げかけましたが、「そんなことはありません」との回答。次に気になっていたことで、「救急車を要請する際の基準は」と聞きました。「基準はありません」との回答。

そんな人たちが利用する電話があるそうで(庄原市は広島市の広域都市圏構想に加入していないので利用できない)、三次市民は悩んだら、「#7119」とダイアルして専門家からのアドバイスを貰うそうです。同じ備北地区消防組合でありながら庄原市民が利用できないのはおかしいので、調査することにします。

次はラ・フォーレ庄原に調査に伺いましたが、夜間のタクシーが無くなったことで「困った」とは強く感じておられないみたいです。施設利用客の80%が自家用車であり、公共交通で来れれる人も殆どはバスだそうです。たまに庄原駅から夜間に電話がある時は、迎えに行くこともあるそうです。

次に庄原赤十字病院に伺いました。救急車の添乗で来られた方で、夜間タクシーがなくなり自力で帰れない方が月に1回あるかないかという程度だそうですが、親戚やご近所が協力して帰宅されるそうです。通院患者の80%以上が自家用車を使われているそうですが、その他はタクシー利用が主だそうです。

午後から西城市民病院に伺いお話を聞かせていただきましたが、任意団体「お帰り応援隊」が令和4年12月に有志8名で結成され、救急搬送の添乗者の帰宅支援を行っておられます。実績として、令和6年4月末までで3件の利用があったそうです。(西城はかなり以前から夜間タクシーはない)

最後に備北交通本社に伺いました。夜間タクシーが無くなったことでの影響はないとのことでした。公共交通について意見交換したのですが、運転手不足が深刻だとのことでした。土日祭日が休みでないことが多く、きつい仕事と捉えられているとのこと。

結論的には、公共交通問題等も最終的には、「まちづくり」だと思います。言葉は悪いですけど、「皆さん勝手にどうぞ」みたいに思えます。本当にこのままで良いと思いますか?まちは徐々に消えて無くなっていっています。音もなく。こんなことを書くようでは議員失格ですね。

地域生活交通問題

[ 2024年8月2日(金) ]

調査特別委員会を立ち上げた「地域生活交通問題」ですが、私と坂本副議長、谷口議員の3名が、タクシー事業者が午後8時以降の営業を止めた、所謂、「タクシー問題」を重点的に調査・研究しています。

1回目の調査では、タクシー事業者を訪問して営業状況を聞かせていただきました。各事業者さんが異口同音におっしゃったことは、「運転手がいない」でした。確かに、年々、保有するタクシー台数は減っています。人口減少社会ですから、利用者が減るのは当然ですが、運転する人も減っているのです。

そして皆さんおっしゃるのは、タクシーは、「儲からない」、「赤字だ」です。しかし、3社とも学生等の送迎の委託を受けていることが経営に寄与しているのは間違いないと言われました。額面通りに受け取れば、タクシーの赤字部分を市の委託事業で補填しているという構図かと思われます。

タクシーを利用されている主な客層は、高齢者です。運転免許を持たない(返納した)高齢者の買い物や通院は主にタクシーが担っているのです。観光客の利用はと聞いても、「観光客が乗ることはない」と即答されました。学生と高齢者の送迎という少子高齢化社会の一つの縮図であるタクシー事業ともいえるかも?

夜間タクシーが無くなって本当に困っている人はどこにいるのだろうか?ということで7月29日には、庄原消防署、ラ・フォーレ庄原、庄原赤十字病院、西城市民病院、備北交通を訪問してお話をお聞きしました。内容は明日の心だ!ということで、明日のブログに書かせていただきます。

8月6日が近づく

[ 2024年7月31日(水) ]

昨日は「被爆79周年原水爆禁止」非核平和行進北部コース庄原地区行進団結団式が庄原市役所前広場で開催され、8月6日の「広島原爆の日」が近づいてきたことを改めて実感しました。

私は母親が入市被爆していますので、所謂、被爆二世です。被爆した伯父さんや伯母さんの殆どは既に亡くなっていますが、生きているのは私の母親一人となりました。伯父さんの一人は被爆後直ぐに我家に運ばれて来て庄原で大やけどの治療をしたそうですが、赤チンを塗る程度だったみたいです。

一人の従姉は胎内被爆で生まれましたが今でも元気です。私が子どもの頃、広島市内の伯母さんの家に泊まりに行くと街には傷痍軍人さんが多くいましたし、火傷の傷跡も隠すことなく人々は行き交ったいました。私は昭和30年生まれですが、まだまだ戦後の貧しさから脱却できていませんでした。

ですから、私は8月6日は特別な日と思っています。また、父親は第二次世界大戦でシベリアに抑留され、何とか生き延びて帰国できましたが、その父親も戦争について語ることはありませんでした。戦争は何もかも破壊してしまいます。今でも世界各地で戦争が起きているとは、本当に理解できません。

私も来年で70歳となりますので、残された命は大切に使いたいと思っています。生かされている命ですから。

 

きずなカフェ(意見交換会)

[ 2024年7月30日(火) ]

昨日は、「きずなカフェ」でした。原則、月に1回開催することとしていますが、相手があることなので中々定期的な開催となっていませんが、昨日はある団体からのお声がけがあり庄原駅の集会室で行いました。

昨日はテーマも決めず、言いたいこと、聞きたいこと等を自由に各自が発言するという、ええ加減といえばええ加減な意見交換会となりました。相手さまはどういう団体というより、発起人さんの友人たちという感じだったのでしょうが、言いたくて仕方ない人たちの集まりだったのは間違いありません。

市職員の早期退職の原因はどこにあるのかと我々に投げかけられましたが、市議会で雇っている訳でもなく、執行者に聞いてみてくれという他ありません。市議会として気にならないのかと問い詰められましたが、一般質問等で質してはいるが、「糠に釘」状態であると正直に答えました。

私たちは地域政党きずな庄原として、「市民力を高める」手段として、きずなカフェであったり、街頭宣伝活動であったり、できるだけ市民の中に出向いて啓発活動を行っているという趣旨のお話もさせていただきました。皆さん、広報広聴の大切さは理解されていますが、問題は実践にあります。

普段は聞けないお話を聞いて疑問に思っていたことが少しは理解できたと皆さんおっしゃっていましたが、「時には傍聴に行って聞いた方がええですよ」という参加者の意見もありました。ネットで視聴することもできますが、現場で直接やり取りを聞くことが一番分かりやすいと思います。

市民は市政に関心があるのであって議会に関心があるのではないと昨日も強く感じましたが、議員には何でも言えるという気安さがあることも分かりました。これまでも言い続けていることですが、議会からの政策提言を執行部が本気で受け止める度量が必要ではと思います。

我々は時間が許す限り対話活動を行っていますが、もっと多くの議員が市民と語る場を設けて欲しいと切に願います。「市民の意見」と枕詞で使いますが、その意見を活かすのは我々議員であり、議会です。

草刈りでした

[ 2024年7月28日(日) ]

昨日も今日も草刈でした。減反の田圃に飼料用のイタリアンを植えていますが、田圃の周りは草だらけです。草を刈らなくても問題はない様に思えますが、隣の田圃には人間が食べる稲が植わっています。

イノシシが出て荒らすので田圃の周りには電気牧柵を張り巡らしていますので、定期的に電気の線に掛かっている草を刈る必要があります。茂った草があるとそこからアースして電気が流れなくなり、イノシシが進入して田圃をあらすことになるになります。風が吹けば桶屋が儲かる方程式です。

今年、電気牧柵を田圃の畔から田圃の脇の作業道に変更したのですが、大正解でした。草を刈る範囲は格段に増えましたが、今のところイノシシの侵入は皆無でした。しかし、問題はこれからなんです。イノシシが田圃に入るきっかけは分かりませんが、イノシシに狙われた田圃は悲惨な状態になります。

段々とイノシシの生態と言うか癖が分かってきた?とまではいきませんが、一定の法則的なものが見えてきました。どこでもかしこでも進入しない。決まった通り道があり、決まったトイレがあるみたいです。だから狙われた田圃はその周辺の通り道を徹底的に潰すことです。

ここに千葉県のイノシシ対策テキストを貼り付けておきますので読んでみていただきたいのですが、基本的には草刈みたいです。私が住む板橋町平林地区は几帳面な農家が多く、草刈を競ってしているの訳ではないのですが、ほぼキレイに保たれています。

要因をひとつあげるとすれば、「平林さとやま管理組合」を立ち上げて集団で環境保全に取り組んでいることですかね。最初は大変でしたが、意識が変わってくると効果も目に見えてきます。やはり、集団の力です。