― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2008年7月30日(水) ]
三次ピオーネに知り合いがいるので、仕入れがてら出掛けてきました。山の下は適当に夕立が来たりして雨が降っているそうだが、山はここのところ全く雨が降らず困っているそうだ。ブドウの味に影響が出ないか心配だということだった。
下の川から水を揚げて灌水しているそうだが、少々の水では焼け石に水状態だそうだ。何とか雨を降らしてくれと嘆願されたが、私にはできない相談です。前のブログにも少し書いたけど、三次地区の溜池などが干上がってきているみたいだ。水の重要性は、無くなってみて初めて分かる。つまり、無くなるまでは気にせず使うのである。これが現代流のやり方。
稲ができなくてもいいということを平気で言う奴がいるから困る。WTOの交渉決裂とニュースが伝えていたが、主食のコメまでも関税率を下げることになりそうだ。できなくてもいいと言っていたら、まずくて安全かどうかわからないコメが外国から入ってくることになるのだ。食料を外国に握られるということの恐ろしさが分からない国民が増えることが怖い。
それにしても、30年前には今の三次ピオーネは全く想像できなかった。赤土でぬかるむ、開墾したばかりの畑というより、荒れた大地だったのだが。あの頃は本当にピオーネによく通ったものだ。大ボロ機械と言いながらも買ってくれた人たちと今でも懐かしく話ができるのは、苦楽を共にした仲だからだ。作物はそう簡単には出来ない、作れないということだ。
食料を他国に依存するということは、お腹が空いても腹いっぱいご飯が食べれないということです。そして、食べれない時代がくるかもしれないという可能性を秘めています。実に怖いことです。
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