― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2025年6月5日(木) ]
私のキャッチフレーズは、「自治振興によるまちづくり」でしたが、果たしてどの程度の成果が出たのか甚だ疑問です。議員に成りたての20年前は、「敷信(しのう)敷信」と連呼しては顰蹙を買っていました。
私の初代後援会長は清光幹雄(故人)さんという人だったのですが、彼は地元板橋から国会議員になった永山忠則さんの地元秘書を長年務められた人で、私が議員に立候補する時、「自治でやりんさい。基本は住民自治じゃ」と言われました。年齢的に清光さんは親父みたいで、「親父、親父」と慕っていました。
正確な年齢は覚えていませんが、40代で私は板橋東自治振興区の副区長になりました。その時の区長が清光の親父です。彼は若くから政治に関わっていましたから、政治のイロハが分かっており、住民が不利益を被ることがあれば直ぐに市役所に飛んで行っていました。私はそんな彼の行動力に魅せられて市議会議員を目指したのです。
永山忠則先生は、帰郷された時は必ず青年たちを集めて自治について講義されていたそうです。その形ある自治として、敷信には県内で最初の公民館を誘致されたり、保育所も県内初だったそうです。今も覚えていますが、その公民館で子供会活動を自分たちで企画して行っていました。大人はオブザーバーで口出しはなしです。
自分たちのことは自分たちで行うことが住民自治です。行政が行うのは団体自治(全体)といいます。自治は上から与えられるものではなく、自分で創意工夫して行うものです。市民力を高めることで住民自治が地域を回す原動力になり、更には、団体自治が力を発揮することで市町村が元気になります。
おまけです。17年前のブログ、「敷信自治振興区 区民大運動会」←クリックで読んでみて下さい。
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