― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2021年4月13日(火) ]
地域政党きずな庄原が推薦した伊井啓太氏ですが、残念ながら敗れました。政治的経験は一切なく、広島市役所で9年間働いたという経験があるだけの34歳の青年です。準備期間も殆どなく、組織も一切ない中での戦いでした。
私たちと一緒に議員活動をしていた山田聖三の次男坊が啓太です。お母さんの実家である伊井家を継ぐ人間がおらずこのままでは絶えることになるので、3年程前に伊井家に啓太が養子に入り、山田から伊井に名字も変わりました。その時には広島市役所を退職しており、「市長を目指して」社会福祉協議会で働いていた時期だと思います。
私と啓太の出会いは何時だったか正確には覚えていませんが、山田から紹介を受け、意見交換する様になっていきました。そんな折、「市長になります」と言うので、覚悟だけでは選挙は戦えないと言ったのですが決意は固く、やるしかないなと思いました。それから、地域政党きずな庄原として推薦することを役員会、党員大会等で決議し、プレス発表となった次第です。
それからが大変でした。自分の選挙もしなければならない訳で、私の後援会からは、「そんな余裕はなかろうが」との意見も頂きましたが、乗り掛かった舟を捨てて逃げるわけにもいかず、出来るだけ計画的に動く様に努めましたが、物事そう簡単にはいきませんでした。それは、言われなき誹謗中傷が嵐の如く降ってきたからです。
「そこまで言うかね」という程のものでしたが、ガンジーではありませんが、無抵抗主義でやり過ごすことに決めました。人の口に戸は立てられぬといいますからね。終わって冷静になって考えれば、「そんなことはないよね」ということが徐々に分かってくると思います。ただ1点、誤解を解かなければならないことは、地域政党きずな庄原は、広島県の選管に届出をしている真っ当な政治団体であり、伊井啓太を市長選に擁立するために立ち上げたものでは決してありません。そのことは、これからのきずな庄原の活動をみていただければ納得いただけると確信しています。
今回の伊井啓太の得票数は多くの若者の声が反映されていると思います。「庄原を変える」「庄原を変えなければ」という、切実な声です。伊井啓太の票と田中五郎氏の票を合わせると、ご理解いただけるでしょうが、木山氏が信任されたとは言い難いと私は思います。これから4年の庄原市を託された木山氏の舵取り、お手並み拝見です。
議会から庄原市を元気にすると言い続けている私ですが、かなり厳しい4年間になると覚悟しています。
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