― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2019年8月26日(月) ]
先ほど、一般質問の通告書を書き上げた。多くのことを聞きたいけど時間の制約もあり、2項目とした。かみ合わなければ質問は直ぐに終わってしまうかも知れないが、誠意ある答弁を期待したい。
近頃の私の一般質問は大人しいものである。かつては、答弁に納得がいかないと何度でも繰り返し質問していたが、年を取ったのか知れないけれど、追及する気力が少し萎えてきた気がする。そして、本気で、「虚しい」と感じることもある。何が虚しいかというと、答弁する気がない答弁が来るときである。一種、夫婦喧嘩みたいでもある。
しかし、我々の最大の武器は一般質問であることは間違いありません。それは、議事録に残るからです。徹底的に調べ上げて質問を組み立てていくわけですが、追い詰めすぎると失言を恐れて答弁がこなくなります。繰り返しですが、腹では分かっていても本当のことを言わない、夫婦喧嘩状態になります。
議員になりたての頃は、一般質問すること自体が刺激的で、ワクワクしていました。成果を期待してというよりも、質問することに一種の喜びを見出していた様に思います。自分は市民の代表として執行者を質しているんだという、正に自負心です。これを「言いたい放題質問」と言いましょうか、議員が陥りやすいパターンだと思います。
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