― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2018年1月10日(水) ]
雑誌「ガバナンス」1月号に、北海道浦幌町議会の日曜議会の様子が記事として載っていたので読ませて頂きました。議員のなり手不足が大きな社会問題となってきていますが、数が揃えばいいだけの議会が問題ではないでしょうか。
こんな自虐的なことを書けば、「やっぱり林は馬鹿だ」と言われることを覚悟で書かせて頂きます。執行者と議会は車の両輪と良く表現されますが、私には、執行者は駆動輪であり、議会は惰性で回っているタイヤとしか思えないのです。どうして議員のなり手不足が叫ばれているかと言えば、議会が成立しないと物事が進まない制度となっているからなんです。
あの鹿児島県の阿久根市のことを思い出して下さい。市長が議会に諮らずに物事を進めようとしたことを最終的には国が関与して、市長を排除した訳です。つまり、議会は機能しなかったのです。その機能しない議会制度を維持するために、世論として、議員のなり手不足をマスコミを総動員して行っているのが政府といえます。
これまで書いたことは、議員になって感じたことです。では、どうして議員になったのかということが問題になりますね。一言で言えば、「世の中の仕組みを変えたい」と思っていたのです。革命というほどの思い入れはありませんでしたが、出来ることから始めようと考えたのです。やはり、「生意気」ですかね。
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