一般質問の仕込み

[ 2016年6月22日(水) ]

昨日の三次市議会の一般質問を傍聴して思ったことだが、庄原市議会や他の市町の議会も似たり寄ったりだろうが、一種、セレモニーになっている感じを受ける。つまり、超えてはいけない一線というものが存在するのではないかと想像する。

小馬鹿にした言い回しで執行者の機嫌を損ねさせたり、答弁できない(しにくい)質問を繰り返したりすることは聞いていても耳障りなものですが、確信を突いた質問に対しても的確な答弁が無いことが時としてあります。つまり、こんな感じの時が超えてはいけない一線かな?そうなると、一般質問はThe endとなります。

前から書いている様に、今回の私の質問は答え難い質問であることは間違いありませんが、答えようと思えば答えられることも事実です。「答弁できません」が一番明快な答弁だと思いますが、それでは子供のお使いになりますからできませんけどね。でも、嘗て私の質問に対して、「答弁できません」って言って着席した猛者が一人います。

今日は組み立てを考えながら資料を読み込んでいたのですが、今の時点では纏まっていません。明日1日で何とか組み立てたいと思っていますが、出来なかったら悲惨な一般質問となることでしょう。

アップしてからあるメルマガを読んでいたら、必要なのは「正論」ではなくその場その時にあった「適論」という表現あり。