一木(ひとつぎ)区民大会

[ 2008年5月24日(土) ]

今朝書いたブログは、今日の一木区民大会を少しイメージしながら書きました。今日の区民大会のメインは、一木営農集団結成40周年記念だったのですが、過去形での喜びではなく、新たな出発点としての大会でした。

私も一木営農集団のメンバーですから、来賓という立場での参加でしたが、皆さんと共に祝いました。私も中学生になっていたので、営農集団の草創期のことはよく覚えています。今日も歴史を語る中で、「共同田植え」が出てきましたが、今から40年前の若くて元気なご婦人衆が並んで田植えをする光景は壮観でした。中には田圃に埋まってしまって、竹ざおで救出ということもありましたね。

コンバインや田植機は後からですから、手植えで、鎌での手刈りだったと思います。それから程なく、機械が出来てきたのではないでしょうか。それらの機械が未熟で故障ばかりするので、手でしたほうが早いというようなご意見もあったように記憶しています。しかし、段々と機械も進歩していき、稲作の栽培方法も機械化に合わせたものになっていきました。

しかし、この営農集団が出来たことで後継者がいなくなってしまうことになろうとは誰も想像していませんでした。朝日農業賞・天皇賞と、農業関係の賞は総なめにしましたが、気がつけば、子供たちは勉強して都会に出て会社勤めをしていたのです。「帰ってこんでもええ、営農集団がしてくれる」と言っていたら、誰も帰ってこなかったのです。

しかし、私たちは新たな挑戦を始めます。長崎県の大島造船所と手を組んで「トマト」の栽培を開始します。前々からブログにも書いている通り、大きなハウスの実験棟が出来ています。新たなシンボルの誕生を予感させます。来年の区民大会には真っ赤なトマトを山盛りでお出ししたいと思います。