― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2017年4月16日(日) ]
選挙運動中に、県民の森から熊野神社に抜けたことがあるのですが、途中の山が禿山と化していたことに驚きました。木を伐りだす業者も、道沿いにある山なら楽勝ですから、そういった山から丸裸にしていくのです。
沿岸部に建設された大型のチップ発電所が稼働し始めているために、大量の材料が必要となってきています。取りあえず、木の出しが楽なところからと考えるのは誰だって同じです。問題は、その次です。どうして沿岸部にチップ発電所を建設するかですが、外国から材を輸入するためであることは明白です。日本の山からの材料供給は早晩行き詰まります。
ですから、私はドイツやオーストリアに伐採だけでなく、集材のやり方について勉強に行っているのです。今の日本のやり方を続けていたら、山には大型機械を入れる道ばかりでき、ゲリラ豪雨などにより二次被害が発生する可能性でてきます。更に悪いことは、山の奥の木はそのまま放置され、これも台風などや積雪により倒木、地滑りが起きてきます。
河川の堆積土問題が良く言われますが、山から流れてくるので、取っても取っても溜まります。植林して手入れしていない山の表土は流れていて、石ころだらけ状態となっています。じゃあ、どうするのか。山の管理ができるフォレスター的な管理者を養成する。これには、法律の整備も必要となります。自分の山でも勝手に伐採できなくします。
作業員も専門養成機関を立ち上げて、伐採や集材のプロとなっていただく。建築に関しても、日本家屋の良さを見直す必要があると思います。今日の新聞記事に、1年前の熊本地震では、日本家屋の置石方式と現在の工法では被害の程度はほぼ同じだったとありました。全国各地では、様々な林業に対する取り組みをされています。
何もせずに、「できない」じゃなくて、「できる」に変えていく行動を起こしていきます。
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