― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
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[ 2018年4月29日(日) ]
一昨日、私の人生で最大の恩人といえるKさんが亡くなられました。彼は地元選出の代議士であった故永山忠則さんの地元秘書として活躍されていた方で、政治に関するあらゆることを教えていただきました。
私のことを息子の様に可愛がって下さり、いつでも、「たかまっさん」と呼んで下さっていました。ですから私も、「お父さん」と呼んで慕っていました。本当に子どもの頃からのお付き合いでした。たまたま、私が板橋東自治振興区の副区長に選ばれたことで、区長をされていたKさんとの二人三脚が始まりました。
それまでは役員会も殆ど開催されていなかったのですが、月に1回は必ず役員会を開催する様に改め、各部活動を活性化していきました。そんな自治活動をしていた49歳の時、「市会議員になろうと思う」とKさんに打ち明けると、「そりゃあええことじゃ。やりんさい」と二つ返事で応援を約束して下さいました。彼の中にいる「選挙の虫」が目覚めたのです。
Kさんは永山先生の選挙を長年仕切ってきた方ですから、私からすると、「選挙の神様」的存在でした。「たかまっさん、キャッチフレーズは」と問われ、「まだ決めていません」と言うと、「自治振興」でいきんさいと一言。実は、永山先生の門下生が今の敷信の基をつくられたのですが、徹底した「自治振興」の精神が基本だったのです。
私の永久のテーマである、「自治振興によるまちづくり」の原点は、Kさんにあります。自分の道は自分で切り開くというタイプのKさんでしたので、根っからの自治男だったと言えます。Kさんのご冥福をお祈りすると共に、今後も精進を続けることをお誓いいたします。
[ 2018年4月27日(金) ]
昨年、ピースコンサートでご縁ができたジャズシンガーの上西千波(かいみにしちなみ)さんが、西城の宮崎旅館で今晩6時からコンサート開くので、これからお邪魔虫で出掛けます。
以前のブログにも書かせて頂いていますが、彼女のお母さんは三次出身ということで庄原にも親戚があります。そんなことから、ご縁の不思議というか何故か宮崎旅館でコンサート開催となったのです。前座は地元のアマチュア音楽家が務めるのですが、みんなで宮崎旅館を盛り上げよう、地域を盛り上げようという企画でもあります。
このブログを読んで、「さあ行って見よう」というのは無理なんですね。会場は50席限定となっておりますので、現実的に入れません。もう少し大きな会場ということではなく、先ほども書きかましたが、宮崎旅館を盛り上げるということが主目的の1つですので今回はご勘弁下さい。西城町観光協会が主催団体なんです。
何となくジャズと言えば高尚と思われるかも知れませんが、黒人音楽として誕生しましたので、草創期の評価はかなり低かったみたいです。しかし、アメリカ各地でジャズが演奏される様になり、徐々に人気が高まっていったそうです。上西さんは本場アメリカでもレコーディングしたプロ歌手ですが、結構色々なジャンルの歌も歌われます。
さあ、出掛けましょう!
[ 2018年4月26日(木) ]
岡山市で開催された、「第142回 中国市議会議長会定期総会」に参加していました。年に1回の開催だそうですが、副議長も一緒に参加するこになっているそうなので、議長に同行した次第です。
中国地方54市から議長、副議長、事務局長の3名がセットで参加となっていました。私は初めての経験ですので流れに身を任せだったのですが、全て当番役員の方々が段取りをされておりました。142回となっていますが、理事代行会議なるものが年に1回開催されており、「合点」。昭和23年4月23日に第1回目の会議を松江市で開催されています。
今回の総会のメインは、各支部(各県)より中央に要望する議案の審議だったのですが、広島市から出された「核兵器保有国を含む全ての国に対し核兵器禁止条約の早期発効を求めることについて」は支持できないという市が複数ありましたので、起立採決となりました。結果は、賛成多数で可決され要望することとなりました。
感想とすれば、「中央に要望する内容を取りまとめる総会」という印象でした。昔からのやり方だろうと思いますが、これで本当に実現できるのかと首をかしげたくなります。今回の開催地は岡山市だったのですが、来年は山口県の防府市で開催と決まりました。庄原市に開催地が回ってくるということは先ずありませんが、開催地の準備は猛烈大変だと感じた二日間でした。
[ 2018年4月24日(火) ]
一昨日から草刈りを始めました。お隣が草刈りを始めたので我家の周りが草だらけに見える様になったからです。二日かけて何とか草刈りが完了しましたが、これからが大変です。今日の雨で草がグングン伸び始めます。
今年は何度草刈りをしなければならないのでしょう。確か昨年は、家の周りは6度刈った様に記憶しています。両隣が几帳面に草刈りをされるので、「早く刈りなさい」と催促されている様に感じます。大体、私が住む小部落は几帳面な人が多く、田圃の法面もなめる様に刈られます。ですので、私も時間があれば草刈りをするようにしています。
恐らくご近所の皆さんは、「議員になったら良く草刈りをするようになった」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。「草ボウボウのあの家は」と言われたくない気持ちもありますので、選挙対策でもある訳です。しかし、草刈りをしている時は無心になれますので、ストレス発散でもあります。そして、あの草を刈った後の独特の匂いが何とも言えません。
これからは、「学びの森」の草刈りもしなければなりませんので、草刈り三昧ですね。大学生が草刈りを手伝ってくれる様になったので少しは楽になりましたが、刈って欲しい時期には大学が休みのことが多く、「単位制」の導入を検討したいものです。冗談ではなく、草刈り十字軍の派遣を要請したいものです。
[ 2018年4月23日(月) ]
我が母校、三次高等学校の創立120周年記念式典と講演会、記念祝賀会が21日に開催されました。創立は、明治31年4月20日です。今回の記念式典と講演会は生徒が企画運営したそうですが、「お見事」でした。
記念祝賀会で、「生徒に任せると言うことは、我々の忍耐が試される」ということですという趣旨の校長挨拶がありましたが、学校全体での取り組みだったのです。全てが完璧といく筈もありませんが、手作り感が良かったですね。100周年の時はと考えると、同窓会が主体で記念式典などを行った様に記憶しています。
式典の最後に、同窓会長から学校長に1000万円の奨学金が贈呈されたのですが、同窓会長の挨拶に、「120年前の開学時から広く寄付金を募って奨学金としていた」とありましたので、これも三高の伝統と言えます。記念祝賀会は午後6時から始まったのですが、300名超からの同窓生や多くの来賓で会場は超満員でした。
各卒業年で10名は集めなさいというノルマがあったのですが、我々48年卒は12名でしたからクリアーしました。大抵の学年がクリアーしたので、超満員になったといえます。そして、盛り上がって多くの同窓生は三次の夜のまちに消えていきました。我々は8名が2次会に行きましたが、話題は既に8月の同窓会のことでした。
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