学校教育

[ 2009年5月30日(土) ]

日本の政治も制度疲労を起こしているといわれて久しいが、日本の教育制度もとっくに制度疲労を起こしています。政治が起こすのですから当然と言えば当然ですが、一向に改革は実行されません。

産業界が外国に目を向けている時代が負の時代であったのかもしれません。優秀な人材を外国に求めた時代が確かにあります。しかし今、自国で人を育てなければならないということがやっと分かったみたいです。気がつけば、働く気のない、働けない人間がドンドン増えてきています。

これって教育の問題でしょうか。いいえ、教育の問題ではありません。社会の問題です。国の責任といえるでしょう。責任を持って国の政治をしていなかったつけです。票になる大人のための政策は打ちますが、将来の票田には政策を打ちません。この国は、質素で勤勉な国民性で成長したのではないですか。

要求ばかりする国民に成り下がり、自分たちの頭で考えることをしなくなったのか。教育も学校に預けていればできるというものではありません。社会の変化、価値観の変化、そんなことを無視してこれまでの教育システムを押し通すことの無意味さ、うまくいくはずがありません。

庄原の教育を創造するするというくらいの気概がないと庄原の文化はやがて姿を消していくのではないでしょうか。英学校があった時代を懐かしむのではなく、再び「英学校」ということを実行してみましょう。教育特区で、小中一貫校を実現しましょう。規模ではありません。そこに誤解があります。

私の考えは決して突飛なものではありません。実行する人がいるかいないかですね。