― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2008年11月9日(日) ]
友人のオヤジが亡くなり、10時から葬式に行っておりました。昔からよく知っていた面白いオヤジでしたが、十数年前から痴呆が出て、近頃はずっと入院しておられたようです。
自宅ではお袋を面倒みており、歩くこともできない親父も一緒に見ることは不可能ですよね。それにしても、夫婦して大変だったことと思います。そこで、「我々の老後」について、ふと考えた訳です。正直なところ、「どうなるんかの」と思っています。自分たちのことは自分たちでするしかないでしょうから、早くから段取りをしなければ。
この前もある60代の方と話していると、「子供には子供の人生があるから、自分たちのことは自分たちですることにした」と言われました。一瞬、驚いたのですが、忙しく働いている子供たちの姿を見ていると、我々をどうのこうのという余裕はないと判断したというのです。だから、自分たちは気の合う仲間と暮らせる仕組みを作りたいのだそうです。
悲しいようですが、カッコをつけてみても現実は厳しいわけです。働かなければ収入はありません。介護保険ですべては賄えませんし、自己負担が重くのしかかります。年金だけで細々と暮らしている高齢者は、じっと黙っているしかないのです。しかし、お金があってもどうにもならない現実もあります。それは、健康であるという前提だからです。
こんなことを考えさせられた葬式でした。
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