現実を直視すべし

[ 2014年1月3日(金) ]

昨日、家内の実家(三次市十日市)に新年の挨拶に行き、義父たちが眠るお墓にお参りしました。お墓は家から歩いて5分とかからないお寺の境内にあるのですが、草ボウボウのお墓なども結構多くあり、気になったので少しだけ見て歩きました。

昔は隆盛を極めたであろう立派なお墓がありましたが、末裔はどうなったのか、誰もお参りに来られた様子はありません。そうかと思えば、近年作られたばかりであろうキレイなお墓もありました。家内と、お寺が管理する体制ができていないと、個人での維持管理は難しいなと話して帰りました。考えてみれば、そうですよね。極端な話し、日本を離れて暮らしている人だって相当数いますからね。

家内の実家に帰って墓の話になったのですが、墓があることは知っていても墓参りに帰って来ない人が多いみたいだということでした。先月も東京都の職員が放置されたお墓の処理について悪戦苦闘するニュースが放映されていましたが、末裔を探し出しても解決しないことが多いみたいです。家内の叔母夫婦のお墓は東京にありますが、1人娘は札幌で暮らしています。墓はあっても家がないから、どうなるんだろう。

私たち夫婦が亡くなって我家の墓に入ったとして、子供もいないから誰が墓にお参りしてくれるのだろう。たちまちは甥や姪がいるから何とかなると思うけど、「この林高正って、誰かね」って時代が来ればめでたしかも。だから、散骨が現実味を帯びてくるわけだ。そうそう、先の東京都のお話では、お墓そのものは古くて明治以降とか言っていたから、庶民の墓の歴史は浅いようです。