― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2013年9月22日(日) ]
自分たちのことは自分たちで考えて行動することが自治ですが、その固まりをどの程度にするのかによって住民自治の多様性が広がってきます。私が暮らす敷信(しのう)自治振興区は旧敷信村です。どの自治振興区も旧村単位で成立しています。
他町もほぼ同じ様な成り立ちではないのかと思いますが、それぞれに住民自治が存在していたのかといえば、存在していました。今よりは数段住民自治が盛んといえば変な表現ですが、自分たちでやらねば誰もしてくれるものはいなかったのです。道路も水路も、自分たちで作っていました。田んぼが水害に遭えば、みんなで協力して復旧作業をしていました。
家を建てる時は、地域総出で手伝っていました。そうです、当時は農業で生計が立てられていたこともありますが、ゆったりとした生活だったと思います。食べ物は粗食でしたから今の様な生活習慣病なんてあり得ません。高度成長社会を迎えて国全体が大きく変わっていきました。全てとは言いませんが、お金が中心の社会になってしまいました。
そんな中で、住民自治は忘れ去られたのではないでしょうか。それは、要求することを覚えたからだと私は思います。住民自治が本当に行なわれれば、役所は不要になります。独立する自治振興区が出てきたら、崩壊が始まります。私が言っていることは決して過激なことではありません。不満が爆発すればそんなことが現実性を帯びてきます。
行政コストを下げるには住民ができることは住民ですることです。そうすれば、無駄なことはしなくなります。私が言っていることは夢物語でしょうか。本来の行政がすべき仕事は何か、皆さんも考えてみて下さい。
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