人の悪口は蜜の味

[ 2008年8月21日(木) ]

人の悪口を言うことは一種の快感となることがあります。人を褒めることはなかなかできないのですが、悪口は簡単に言うことができます。なぜでしょうか?私も時に調子に乗って、悪口を言うことが実はあります。後ろめたい気持ちはあるのですが、つい、言ってしまいます。

自分の思うようにいかない時は、「何でこうなるんだ。きっと誰かが邪魔をしているに違いない」と思い始め、「○○が裏で糸を引いているに違いない」となってくる。そう思いだすと、修正はきかなくなり、「なんて悪いやつなんだ」とエスカレートしていく。これに仲間ができてくると、もう大変。密に群がる何とかではないが、収拾不能となる。

昨夜、市民会館であった「アサヒの森ロビーコンサート」で坂田明さんが大きな声で「ばかたれー」とか「あほー」とか音楽に乗せて我々に言うことを強制?されましたが、帰り際に、「気持ちよかった。すーっとした」と多くの方が言われていました。実は、音にして言うことによって「憂さ晴らし」ができるようです。腹が立った時には大きな声で、「ばかたれー」とやったらいいのです。音楽ですからね。

坂田さんが、”役立たず”ということを軽妙に語られていましたが、それぞれの役があるのだから、”役立たず”なんて一人もいないと。そうなんですよ、自分と同じ価値観を求めるから腹が立ち、愚痴がでて、悪口にとなっていきます。世の中に無駄で役に立たないことなんてない。”豊かさとは多様性の事です”と。お互いを認め合う、価値観を強制しないこと、それが坂田さんの音楽の原点でもあるようです。

私は昨夜初めて坂田明さんのグループ「みー」の演奏を聴きました。素晴らしかったです。そして、後半一緒に演奏した東城中学校と庄原中学校の吹奏楽の生徒達が良かったです。見事、役に立っていました。私自身、”役立たず”コンサートの意味がうっすらと理解できたかなと思っています。「好きに生きる」ことにします。