― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2013年4月28日(日) ]
今日は、金光教庄原教会の「天地金乃神大祭」でした。私が信心しているなんて、「ウソ」ってお思いの方も多いかも知れませんが、実は30年来の信者です。家内の祖母が熱心な信者さんだった影響から私も金光教の信心を始めたのでした。
私は学生時代は、所謂、マルクスレーニン主義の信奉者の端くれでしたので、「神がいるなら見せてくれ」なんて平気で言っていた男です。大昔のブログに書いたと思いますが、家内の祖母はそれは良くできた人で、人を喜ばすことが信心だというくらいでした。私が結婚前に家内の実家に行くと、家では誰もお酒を飲まないのに酒屋にビールを買いに行ってくれるのは祖母でした。
戦前から戦中戦後と、それは苦労してこられた人だったみたいです。多くは語られませんが、台湾にも居られたみたいです。そんな祖母の生き方は金光さんによって支えられていたのだそうです。「生かされて生きる」と口では言いますが、生きているというのが実感です。金光教は、心を鍛える宗教と私は思っています。難しい教えは一切ありませんが、お礼(感謝)が基本です。
金光教の最大の特徴は、「お取次ぎ」という行為です。教会には教会長が御結界という場所にお座りになっており、信者さんの諸々の喜びや悲しみや願い等を神様に取り次ぐ役目をされています。キリスト教の懺悔と近いのかな?ただ、金光教では囲いはなく、他の信者さんにも聞こえることもあります。そして、金光教は全てにおいて自由ですから、押しつけが無いのが長所であり短所かも知れません。
ですから、私の様な人間でも信心させてもらえるのだと思っています。
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