― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2013年4月18日(木) ]
私のここ2日ばかりのブログに対して多くのコメントをいただきました。それぞれの旧町には、旧庄原にも、異なった歴史が存在しています。政治風土も違いますし、商慣習も異なっていると思います。どういう成り立ち方があったのかということも大きく影響しています。
極端な話し、異文化交流事業が合併によって始まったのです。それまでは、旧町内で完結していたことが合併したその他の町とも協議しながらでないと進められなくなりました。合併初年度は、33人の議員が集まりましたが、主義主張のぶつかり合いでした。我が町ではと声を大にして主張を繰り返す議員が多くありました。
合併2期目は、25名の議員が集まりました。表面上は、一体的取組ということが言われましたが、地域間格差が徐々に表れてきたのではと個人的には感じます。議員の力量とまでは言いませんが、4年間の取り組みをご覧いただければ理解できるのではないでしょうか。どうしてそうなったのかということを皆さんに考えて欲しいのです。あなたたちが選んだ人たちが何をしたか。
庄原市の一体的取組を進めるには職員力が最も重要です。もう一度、全域を再検証してみることから始めなければなりません。実態のない、合併時の新市計画は一旦白紙に戻し、どうやって辺地を守るのか、あるいはどうやって再活性化するのか、議員ではなく職員の力を結集する必要があります。職員の邪魔をする議員であってはいけません。
そんな議員の意識改革こそが急務だと思います。
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