住民の足は何?

[ 2008年5月21日(水) ]

JRも国鉄と呼ばれていたことを知る人が段々と少なくなってきている。大量輸送機関として、戦後の日本復興を支えた国鉄だったから、JRとして何とか残っていると私は思う。

私は高校生の時、国鉄にお世話になった一人である。学割の定期で庄原と八次を蒸気機関車で往復したものである。しかし、今の三次高等学校の生徒はどうやって学校に通っていると思われますか?聞いてビックリ!何と、かなりの生徒が親に送ってもらっているのだそうだ。お迎えもあるから、親の送迎つき通学というから、ビップである。

そこで今日のタイトルである、「住民の足」となるのだが、一体だれが交通弱者なのだろうか?市では「生活支援バス」を各地で走らせているが、かなり空気を運んでいるみたいだ。家まで来てくれないバスには乗れないというお年寄りが多いと聞く。家の前を某備北交通のバスがたまに走るのだが、朝の通学バス以外で乗客を見ることはまれである。

昔は、私の母もバスで市内に出掛けていたが、体が弱ってくるに従って「お抱え運転手」になった。週に二日、デイサービスにも行かせてもらっているが、乗り降りはVIP御用達の雰囲気である。バス停まで出て、バスに乗る人はバス停の近くに家がある人だと思う。庄原でもタクシーがかなり増えていることは間違いない。

JRにしても、定期路線のバスにしても、あるうちは「あって当たり前」で、なくなりかけると「住民の足の確保」と言い始める。残して欲しい人は色々と理由をつけるし、整理したい人にもそれなりの理由がある。これまでの交通体系・運行形態のままで「住民の足」を議論するには無理がありすぎると私は考えます。

これはある思い出ですが、ある大きな大会を開きました。定期バスに全員乗せろと交渉して、普通往復運賃でバスをチャーターにしてもらいました。醍醐バスのような住民が運営できれるバスもあるのですから、様々なアイデアを出せば、足は確保できると思います。それに抵抗するのは規制です。