終戦記念日

[ 2011年8月15日(月) ]

66回目の終戦記念日でした。前ほど、テレビで戦争関係の映画やドラマを放映しなくなりました。風化していっているという表現が当たっているのかも知れませんが、風化させてはいけない記念日です。

亡くなった親父はシベリアに抑留されて、九死に一生を得て帰国してきましたが、生涯、戦争について語ることはありませんでした。母の弟は、特攻隊で亡くなりました。100%の確証があるわけではありませんが、終戦後に飛び立った特攻だということです。多くの伯父や伯母は被爆者です。私も被爆二世です。

戦争の無意味さは、どんなに理由を探してみても、正当性は見出せません。殺し合いでしかありません。そして、勝った国と負けた国が生まれます。喧嘩両成敗とならないのが、戦争です。国家間の争いですからね。これから先も、日本は戦争を仕掛けた国として存立していきます。戦争責任とはかくも厳しいものなのです。

この戦争責任に真正面から向き合う必要が国家にはあります。いくらアメリカと同盟国になろうとも、戦争責任を回避できるものではありません。例え、100回目の終戦記念日がやってこようとも、終わりはありません。日本国の永久なる責務です。