― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2022年2月3日(木) ]
先ほどまで先輩と意見交換していました。テーマはなく四方山話でしたが、久々だったので楽しかったです。先輩の地域の神社の本殿を改築されたそうですが、どうして神社ができたのかという話で盛り上がりました。
私のブログではこれまで何度も地元の王子神社のお祭りのことを書いてますが、維持管理は当然ながら氏子でやっているのですが、どうして神社があり、どうして私たちが維持しているのか、考えたことはありません。良く登場する我々のDNAがそうさせているのかも知れませんが、自然崇拝が原点であるというのが先輩の説でしたが、私も同感です。
宇宙の話をするつもりはありませんが、どうしてと考えると明確な答えはありません。細胞分裂でと言われてもピンときません。神代の昔から、理屈をつけて説明しても説明できないことが多すぎたのです。科学の進歩によりある程度は解明されたと言ってもまだまだ分からないことだらけです。
だから、知らず知らずの内に太陽に感謝したり、水のありがたさに感謝したり、作物ができる土地に感謝して祈りを捧げてきました。その内、皆で集まって出来た作物を供えたり、牛馬の魂を祀ったりする様になっていったと想像します。ですから、今でもそういう類の祭が残されており、意味は分からなくても祈っているのです。
神社庁がどうのこうのと言う神社ではない、我々土地の神社は、自然と出来上がった地域の鎮守の神という結論になりました。だとしたら、形に囚われる必要はないとも考えれます。
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