世の中から取り残された過疎地域

[ 2022年2月1日(火) ]

連続して過疎地域の抱える課題を書き続けていますが、ふと、「世の中から取り残された過疎地域」なんじゃないかと思えてきました。生活スタイルは都会とあまり変わらないと思いますが、集落を維持していくやり方は昔と殆ど変わっていません。

やはり田舎の基本は農業です。殆どは兼業農家で、中には乳牛を飼ったり和牛を飼っている農家もあります。しかし、それだけで生計を立てている農家は本当に稀です。収入の大半は働きに行って稼いだお金です。農業機械は稼いだ外貨を足して購入しています。そうまでして農業を守っているのです。林業もしかりです。

私の集落の話をしますと、溜池に山から出てくる水を貯めて稲作をしているのですが、溜池に水を入れるための水路の維持管理は我々農家が担っています。近年は温暖化によるゲリラ豪雨で、短期間で満水になることがありますが、災害も多発しています。前にも書きましたが、その水路の脇をイノシシが掘り返してグシャグシャにしてくれます。

激甚災害と判断されれば地元負担1%とか2%で改修してくれますが、それほどの災害でないものは自分たちで直します。池から田圃に水を送る用水路についてもそうです。私たちは当たり前と思ってやってきていたのですが、作業に出てくる農家数が減少して作業に支障をきたす事態が発生してきています。

溜池の土手の草刈も農家がします。これも当たり前としてやってきていましたが、駅家町の溜池が決壊して幼児がなくなった事件以来、県から管理者を登録して管理を徹底しなさいとお達しがきました。事故が起これば管理責任は地元でしょうか。私が書いていることは愚痴かも分かりませんが、私の集落の次の世代は引き継いでするでしょうか。次の世代は我が家にはいない。

嫌だったら止めればええじゃないかと思われるでしょうが、我々の世代には不思議なDNAがあるんです。「何とかしよう」というDNAが。このDNAこそが世の中から取り残されていることを何とも感じなかった元凶だと分かりました。僅かな補助金を出すために農家に計画書を強要するのは間違っています。書ける訳ないじゃないですか。DNAなんだから。