相田みつを

[ 2021年7月20日(火) ]

私が購読している雑誌プレジデントに、「なぜ、『相田みつを』は日本人の心に迫るのか」との標題で息子の相田一人さんが書いておられます。丁度、我社の朝礼で相田みつをさんの「一生感動一生青春」を輪読しているので、ご縁を感じた次第です。

私が相田みつをさんの詩に出会ったのは掃除に学ぶ会でトイレ掃除を始めた頃です。日本を美しくする会の鍵山相談役が相田みつをさんの詩や書を気に入っておられ、講演会等で良く相田さんの作品のお話をされていたので私も興味を持ち本を購入し読ませていただきました。今でも相田さんの日めくりカレンダー2種類を毎朝めくっています。

著作権の関係があるでしょうから作品を載せることはしませんが、相田みつをさんの言葉は、日本が災禍に遭うたびに人々に求められてきたのだそうです。最初は、25年前の阪神・淡路大震災の1年後に神戸で相田みつをさんの詩が何故か広まっていったそうです。実は私が相田みつをさんの詩に出会ったのも25年前なんです。

私事で恐縮ですが、25年前は私の人生の大きな転換点でした。掃除に学ぶ会との出会い、鍵山相談役との出会いにより生き方が根本から変わりました。またその年には、ボランティア活動(BBS運動)により文部省からドイツに派遣され、東西ドイツの統合を目の当たりにし世界観も大きく変わりました。つまり、私が今議員である根源は25年前にあります。

行き詰まると何故か相田みつをさんの詩が求められる。コロナ禍の今が正にそうかも知れません。