慰霊祭

[ 2019年8月21日(水) ]

今日は庄原市の慰霊祭が市民会館で行われました。私も遺族会の会員ですが、議員として出席させていただきました。母親の弟が戦死していますし、父親はシベリアに抑留されていましたし、母は入市被爆で私は被爆2世です。

確かに戦争は過去の話ですが、第二次世界大戦から74年が経過した今でも簡単に忘れることはできません。戦死した叔父については私が知る由もありませんが、特攻隊で終戦間際に亡くなったそうですが、本当はいつ、どこで、亡くなったのかは未だに分かっていません。父親は、シベリアの抑留生活が相当に厳しかったみたいで、戦争体験を語ることは殆どありませんでした。

母の姉二人は広島市内で暮らしていましたので、被爆者、被爆二世(体内被曝含む)は親族に結構います。伯母のひとりは比治山の麓で暮らしていましたので私が子供のころ泊りに行った時、比治山に良く遊びに行くとABCCで働くアメリカ人が多くいましたが、どうしてアメリカの人がいるのか理解できませんでした。後に、「そうだったのか」と理解できました。

当時の広島市内には結構多くの傷痍軍人の方々がいらっしゃって、白い着物を着て、一種、物乞いの様なことをされていました。本当の傷痍軍人やそうでない人もいたのでしょうが、子供には強烈な光景でした。私の従姉妹の一人は体内被曝で、今も元気に暮らしていますが、本当はビクビクしながら成長したみたいです。

「戦争を知らない子どもたち」という歌がありますが、戦争を全く知らない世代ばかりが殆どを占める様になり、語り継ぐ難しさを実感しています。