楽しかった

[ 2010年1月10日(日) ]

昨日の「敷信自治振興区」の新年互礼会は、非常に楽しかった。それは、私の席が田中茂樹さんの隣だったので、色々なお話を聞くことができたからです。乾杯の発声を私がしたのですが、田中茂樹杯を敷信中学校で取ったこと、その本人さんと同席して感激している喜びを精一杯表現しました。

昭和26年に彼はボストンマラソンで優勝したのですが、当時のお金で70万円の寄付を庄原の人たちがしてくれてアメリカに渡ったのだそうです。当事の70万円といえば、とてつもない金額だったことが想像されますが、同級生も必死で集めてくれたそうです。それにしても、田中茂樹さんはユーモアがあり、話上手な方でした。

マラソンの合宿に参加する条件が、米を持ってくることだったそうです。彼はリュックに米を入れて大阪に向かったのですが、途中で警察官に止められて、「どこに米を売りに行く」と職務質問を受け、「朝日新聞の合宿に参加する」と言っても信じてもらえず、結局、電話で問い合わせて、嘘を言っていないことが証明されて許されたそうです。そういう世の中が全て貧しい時代だったのです。

彼の走りを支えたのは、周りの激励があったからこそと何度もおっしゃっていました。高門から実業高校までの往復を毎日走っていたのですが、知らないお婆さんが卵を差し入れてくれたり、学用品の荷物を運んでくれたりと、大いに助けられたそうです。ですから、自分がボストンで優勝できたのは、自分ひとりの力とは決して思っていないと言われました。

それにしてもメダルが盗難にあった話しには腹を抱えて笑いました。そして、帰ってきたメダルと新たに贈られてきたメダルを拝見しましたが、今では秩父記念館に保管されており、自分のものでありながら、借用書を書かされたと笑い話にされていました。頂点を極めた人は違うと実感した田中茂樹さんでした。