― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2017年9月2日(土) ]
先週の勉強会で、三次市川西自治連合会の福永会長が、「川西を住みやすいまちにすることで、人がやってくるのではないか」と話されたのですが、今も、そのフレーズが頭にこびりついて離れません。
私の記憶に基づいて書きますが、発言の主旨は外れていないと思いますのでご了承下さい。質疑の中で、IターンとUターンの話になった時です。「Uターンで帰ってくるのは、この土地で生まれた育った者だけです。奥さんは今暮らしている土地にIターンし、子供には現在地が故郷なんです。」との福永さんの言葉にハッとしました。
「しかし、Iターンしてきた人たちは、不便を不便と感じない、川西が住みやすいと判断されたのです。」この【住みやすい】がヤケに新鮮に聞こえました。上水道も下水道もないけど、豊かな自然がある。そんな自然の中で子育てをしたいという家族には住みやすいまちなんです。住みやすさとは、彼らの価値観が決めることなんです。
海士町のキャッチコピー、「ないものはない」ではありませんが、以前も同じことを書きましたが、「あるものはある」でええんじゃないですか。日本各地で新たな発想でまちづくりが行われていますが、多様な価値観に対応できる多様なまちの姿が必要だと思います。
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