無策のつけ

[ 2009年2月22日(日) ]

親が子供に望むだけの小遣いを与え続けると、その子供はどんな大人になるでしょうか。恐らく、自分でお金を稼ぐこともせず、使いたい放題使って、何か不足があれば親に文句を言う大人になると思います。

私は、今我々が置かれている状況はこんなものではないかと思っています。ついこの前まで、交付税は国からの仕送りだなんて平気で言っていたのはだれですか。制度上はそうでしょうが、身の丈以上の施設や道路を作りたい放題作って、挙句の果てが、「破綻寸前の財政」です。国からお金がくるのだから、好きに使ってやるという論法でもあります。

私は昨日、「歩け歩け運動」で、ある限界集落を1日かけて歩きました。立派なお家があるからと急な坂を歩いて行ってみると、「空き家」です。遠目には、どうみても人が暮らす家に見えるんですね。聞けば、都会に暮らす息子さんが帰ってきては家の周りをきれいにされているそうです。しかし、この先何年、こんなことが続けられるのでしょう。

一方、管理が放棄された家々は、廃屋となり、自然風化を待っています。その数は、半端ではありませんでした。山は全く手入れがされておらず、荒れ放題ですから、災害の危険性をはらんでいます。目に付くところ、目立つところに、実績がアピールできることに集中して税金を投入したことの結果が今でています。これを無策といわず何と言うのでしょう。

国土保全ということの重要性をみなさん、本気で考えてください。私は毎年中国に「掃除に学ぶ会」で行っていますので、中国の砂漠化の深刻さを認識しているつもりです。その昔、中国は緑に覆われた国だったのですが、戦乱を繰り返したり(火をつける)、木を伐採したあとに植林をしなかったために、はげ山となっていったのです。それは悪の環境循環となり、水が枯渇することとなってきています。

一時の快楽を求めることはたやすいことですが、地道に国土を守るという土台の部分をおろそかにすると、暮らす人もいなくなってくるのです。それは時間をかけて都市部周辺へと広がっていきます。温暖化と連動して、大雨がふると大洪水、そして大災害となっていきます。私が言っている事は、絵空事ではありません。皆さんも自分の足で山間僻地を歩いてみてください。私達が飲んでいる水の元ですからね。