― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2007年6月16日(土) ]
タイトルの「理想的な病院」とはどんな病院でしょうか。いつ行っても直に診てくれる医師がいる病院でしょうか。全ての検査機器が揃っている病院でしょうか。
昔はこれほど頻繁に病院に通っていただろうかと考えると、答えはNOである。第一、それほど行かなければならない病気にもなっていなかったし、少々の怪我は、ヨモギか赤チンで済んでいたものだ。私のこれまでの一番大きな病気は椎間板ヘルニアで、腰の手術を受けたものだ。
むかし、高校時代に医者の家にに下宿していた時期があります。凄く印象的な事例として、私が風邪をひいた時のことです。先生は私にこう言われました。「暖かくして、栄養のあるものをとって寝ていなさい」でした。家族でもそうです、いわゆる薬を飲む姿を見たことがありませんでした。近頃の先生は直に自分も薬を服用されるようですが、古いという表現が適切ではないのでしょうが、昔の先生はまず薬は服用されませんでした。
理想的な病院とはかけ離れた話になりましたが、儲からない病院が淘汰されるのではなく、儲けなければ続けられない病院こそが淘汰されるべきだと思います。東日本税理士法人の長隆先生に講演においで頂、お話しを伺う中から、理想的な病院とはなんだという疑問が湧くようになりました。豪華な病院施設に目がくらんで、内容の充実をおざなりにしたつけが、破綻となっているのでしょう。
私は愛知県の東栄病院に行って見ようと思っています。試行錯誤しながらも、田舎に必要な病院を守り抜く決意をされた先生にお会いして、お話しを伺ってみたいのです。逃出すこともできたけど、患者を見捨てることができなかった先生に会いに行きます。田舎の理想の病院を目指される東栄病院です。
« 前の記事 | | | 次の記事 » |