― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2011年1月30日(日) ]
私が尊敬していた「親父」が亡くなりました。実は親友の親父だったのですが、高校時代からお世話になっていたので、本当の親父の様に何でも相談していました。親友は8年前に突然の心臓麻痺で亡くなっています。
親父との出会いは、高校1年の時でした。私の50ccバイクを無免許で運転して、警察に捕まった同級生が親父の息子でした。高校で初めて同じクラスになったばかりだったのですが、直ぐに仲良くなった彼は、「バイクを運転させてくれ」というので、バイクを貸してあげたのです。学校から出て行って中々帰って来ないので心配していると、とぼとぼとバイクを押して帰ってきました。
「えらいことになった。無免許運転で捕まった」と言うではありませんか。結局、親子で警察に行って、説教されただけで許してもらうことができたそうです。そんな事件から彼とは彼が亡くなるまで親友として付き合っていましたし、親父とは彼の死後も家に行っては色々な話を聞かせてもらっていました。実は親父さんは、脳梗塞になっていたのですが、脳梗塞患者の会を立ち上げて頑張っていた人だったのです。
脳梗塞になってからの親父さんの闘病は凄いものがありました。玉造厚生年金病院でのリハビリで、奇跡の復活といっても良いほどの回復をしたのです。そして親父は、医療機関や市に働きかけて、脳梗塞患者のリハビリのための、理学・作業・言語等の療法士を病院に常勤とすることを実現したのです。私も親父を玉造に見舞ったとき、脳梗塞の本当のリハビリというものを見せてもらい、認識不足を痛感しました。
脳卒中対策基本法の成立を見ずして亡くなったことが、さぞや心残りだったろうと思います。親父さんは、常に権力と戦う人でした。
ご冥福を心より祈ります。
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