― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2024年3月7日(木) ]
以前のブログに書いた通り、2月27日に庄原赤十字病院に入院し、28日に胆嚢の摘出手術を受けました。今回の手術はお腹に穴を開けての(腹膣鏡)手術だったのですが、途中から胆嚢と肝臓の癒着が酷く、切開となりました。
私はまな板の鯉状態で麻酔で眠っていますのでそんなこととは露知らず、麻酔から目覚めて初めて切開を知りました。手術の付き添いは奥さんだったのですが、手術の途中で先生から、「癒着が酷いので切開します」と告げられ動揺したみたいですが、どうにもできないので、「宜しくお願いします」と言ったのだと思います。
手術後、人生初のICU(集中治療室)に入りましたが、これも気がついたのは麻酔から目覚めてからでした。体には点滴や機器類が繋がれており、自分で動くこともできない状態でした。複数の看護師も私を取り囲んでおり、「大変なことになった」と勝手に想像したりして、今にして思えば、せん妄状態だったのだと思います。
27日の午後7時位から翌28日の午前6時ごろまで、11時間も眠っていました。目の前の壁に掛かっていた時計で確認していました。目覚めると、「早く動き始める方が回復も早い」と言い始めるではありませんか。「リハビリしましょう」、「歩けますか」と畳みかけます。変な所で男の意地を出して、「歩いてみよう」とベットから起き上がりました。
おだてるのが上手なんですね。「こんなに早くに歩いた人はいない」なんて言うもんだから、当然ながら補助器具を使って、手術室までの廊下を2往復しました。これが運の尽きとなりICU卒業で、入院時の普通病棟に戻りました。普通病棟ですから自分でできることは自分でするが基本となりますので、お腹の痛みに耐えながら荷物の整理です。
ICUに入る時、荷物は全て持ち込んでいたのですが、1日で逆戻りです。そう思うと、1日で卒業する人はいないのかも知れませんね。胆汁が出ていた穴から管?を抜いたり点滴が無くなったりしてドンドン身軽になっていきました。3月3日には主治医の先生が、「林さん、そろそろ退院の準備に入りますか」と言われました。
準備とは自主的リハビリのことで、院内の廊下を歩いて自販機にお水を買いに行ったりするようになりました。そして昨日6日に退院しました。議会中に入院して手術するという綱渡りをした訳ですが、議会事務局とはグループLINEで打ち合わせをしており問題は発生しませんでしたが、皆さんにご迷惑を掛けたことは間違いありません。
会派についても会派グループLINEで会派代表質問等を打合せしていました。「JR芸備線存続に向けての市民集会」の事務局も会派で受けていますが、こちらはLINEでという訳にはいかず手分けして動いています。ちなみに私は看板担当です。皆さん、3月24日の午後2時から藻谷浩介さんの講演会が市民会館でありますので、奮ってご参加下さい。
ということで、はやし高正のここ10日間について書かせていただきました。友人が、「酒は?」と言うので、「あの死ぬほどの苦しみを味わったら暫くは飲む気にならない」というと、「まあ直ぐに飲み始めるよ」笑いながら言われてしまいましたが、今のところ、飲む気にならないというのが本音です。
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