― 庄原市政や日々の出来事に関する事を書いています
[ 2019年1月23日(水) ]
今から23年前に文科省が主催する日独セミナーでドイツに派遣された時、「多様な価値観」という言葉を頻繁に聞きました。東西ドイツが統合されて6年が経過していましたが、旧東ドイツでは「想像する」という言葉が理解されていませんでした。
旧東ドイツは社会主義による一党独裁政権でしたから、極端な言い方をすれば、考える必要がなかった社会ともいえます。ですから、私が訪れた学校では、想像する力が必要な芸術関係中心の授業が行われていました。絵を描いたり、音楽を聴いたり、曲を作ったり、演劇に親しんだりという具合です。驚いたことに、「祈る」という言葉は存在すらしませんでした。
異なる価値観を持った人たちが一つの国家として動きだしてみたら、「どうして」ということが頻発したそうです。そういった時に、「多様な価値観」と言う言葉を多用したみたいです。旧西ドイツの人たちは自分たちの生活を犠牲にしてまで統合の道を選択したのですが、この多様な価値観には未だに苦しんでいるみたいです。
日本でもLGBT等が平場で議論される様になり、「多様な価値観」という言葉も良く耳にするようになりましたが、まだまだお仕着せ的だと私は感じています。ドイツ人は議論が大好きですので、納得できるまで徹底的にやります。これは、領土をかけた過去の戦争から、武力でなく言葉による議論で決着をつける道へと進化したものと思います。
しかしながら、多様な価値観も多くの難民が流入してきたことで、揺らいできている印象を受けますね。
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