山の日

[ 2017年8月11日(金) ]

自分たちで一所懸命に運動して実現した、「山の日」ですが、どうして8月11日なのかと、今でもしっくりきません。全国各地でバラバラに「山の日」を祝日にという運動をしてきたことが裏目に出たのかも知れませんね。

今日もニュースで、各地の「山の日」の行事を伝えていましたが、どこかの菓子メーカーとタイアップして大声を出す競争なんて想像していませんでした。「山の日」は、「海の日」があるなら、「山の日」があってもええじゃないかが原点なんです。単に、祝日を1日増やせばええという程度のことではないのです。

どうして、もっと山に入りやすい季節を、「山の日」としなかったのかと私は問いかけているのです。山の持つ多様な力を実感するには、山に入る必要があると思います。広島県の森づくり県民税も、都市部の人は、「どうして山のない我々が県民税を払わなければならない」と思われているみたいですが、水や酸素、自然のダムとしての機能等、山の持つ力です。

そして、山は手入れをしないとキレイな水や美味しい空気を生み出してくれなくなります。山が荒れると、災害が起きます。今回の九州地方で起きた災害も、山の木が流されたことが大きな原因と言われています。山の手入れである、間伐が適正にされていなかったことが指摘されています。「山の日」だからこそ、山について多面的に考えてみましょう。

つい50~60年前まで、建築材や燃料等の生活の基盤は山にあったのです。